ゴルフ史

1886年

屋根職人ブラウン、地元で全英王者になる。

G.フォレスターのドライバーを道具のアイコンに、当時の選手権の勝者と、ゴルフが広がる歩みを振り返る。大本命ではなかったデービッド・ブラウン。マッセルバラの9ホールで、仕事を持つ地元のゴルファーが勝った。

この時代のドライバー

G.フォレスターのドライバー。1885年と記録されたG.フォレスターのドライバー。木製ヘッドと首の接合、ホーンの補強が見える館蔵の実物写真。この年の新発売や使用率首位を示すものではない。

G.フォレスターのドライバー。1885年と記録されたG.フォレスターのドライバー。木製ヘッドと首の接合、ホーンの補強が見える館蔵の実物写真。この年の新発売や使用率首位を示すものではない。

選手権を制した主役たち

SEASON LEADERS

確認できる主要選手権の優勝者を掲載。記録のない年間賞金順位や、創設前の大会の勝者は補わない。

  • 英国男子 · オープン選手権

    1886年

    デービッド・ブラウン

    全英オープン優勝

    この年の選手権優勝者。年間賞金王の記録ではない。

  • 英国男子 · アマチュア選手権

    1886年

    ホレス・ハッチンソン

    全英アマチュア優勝

    この年の選手権優勝者。年間賞金王の記録ではない。

この時代は年間賞金王の欄を無理に揃えず、主要選手権の勝者で振り返る。全英アマは1885年、全英女子アマは1893年、全米の3選手権は1895年から。オープンとアマチュア選手権を一つのプロメジャー数へ合算しない。全英は1892年、全米オープンは1898年に36ホールから72ホールへ変わる。

当時の主要選手権を見渡す

MAJOR CHAMPIONS

1886年に起きたこと

WORLD & JAPAN

世界のゴルフ

英国と米国の選手権、女性の競技、道具と大会の変化。

  1. 年間

    全英オープンはデービッド・ブラウン

    デービッド・ブラウンが全英を制した。本戦36ホールの合計は157打。舞台はマッセルバラ。リンクスの風や地形を相手に、その年の王者が生まれた。

  2. 年間

    全英の舞台と、競技の長さ

    マッセルバラで争われた全英は、36ホール。現在の72ホールとは競技の長さが違う。マッセルバラは9ホールを4周するコース。

  3. 年間

    全英アマチュアはホレス・ハッチンソン

    ホレス・ハッチンソンがSt Andrewsで全英アマチュアを制した。決勝結果は7&6。ホールごとの勝敗を争うマッチプレーだった。オープンの合計打数とは別に、アマチュアの王者をたどる。

  4. 年間

    前年の準優勝から、アマチュアの王者へ

    ホレス・ハッチンソンが全英アマチュアで初優勝。前年の大会ではアラン・マクフィーに決勝で敗れていた。全英オープンのデービッド・ブラウンとは別に、アマチュアの勝者にも名を残した。

  5. 道具

    道具のアイコンは、G.フォレスターのドライバー

    G.フォレスターのドライバー。1885年と記録されたG.フォレスターのドライバー。木製ヘッドと首の接合、ホーンの補強が見える館蔵の実物写真。この年の新発売や使用率首位を示すものではない。この年の選手全員が同じモデルを使った、という意味ではない。

日本のゴルフ

この年の日本の全国選手権や賞金順位は掲載しない。六甲の最初の4ホールは1901年、神戸ゴルフ倶楽部の開場は1903年。日本の競技が育つ節目は、これから訪れる。

    この年を、もう少し深く

    STORIES OF 1886

    前の全英では、24位だった。

    デービッド・ブラウンは、スレートを使う屋根職人だった。全英出場は過去に2度で、いずれも地元マッセルバラ。1880年は4位、1883年は24位。この年も有力候補の中心にはいなかった。

    3周目の37打で、前へ出る。

    最初の18ホールは79打で、ウィリー・キャンベルらに1打差。3周目を37打で回り、最後は41打。後半18ホールを78打とし、合計157打で優勝を決めた。

    最後の三つは、3打、3打、3打。

    ブラウンは最後の周回の序盤に三つの6打があったが、終わりの3ホールをすべて3打で上がった。キャンベルは159打で2位。地元のコースを回り切った屋根職人に、2打届かなかった。