1866年
兄が優勝、弟が2位。パーク兄弟の全英。
169打のウィリー・パークに対し、弟デービッド・パークは171打。2打差で兄が勝ち、兄弟が上位二つを占めた。 南西から風が吹く日。ウィリー・パークは先頭を譲らずに勝ち、最後まで追ったのは弟デービッドだった。
この時代のプレークラブ

1850年頃のD.マキューアンのプレークラブ。木製ヘッドと長いシャフトを備える館蔵品を、この時代のドライバーの源流として紹介する。単年の発売モデルや王者の使用品を示す写真ではない。
この年の全英と、主役たち
SEASON LEADERS年間賞金順位の代わりに、当時の主要選手権とその勝者を紹介する。個別大会の賞金と年間の獲得賞金は区別して読む。
英国男子 · オープン選手権
1866年
全英オープン優勝
プレストウィックで36ホールを169打。この大会の優勝者で、年間賞金王の記録ではない。
当時の主要選手権
MAJOR CHAMPIONS1866年に起きたこと
WORLD & JAPAN世界のゴルフ
選手権の勝負と、クラブや道具の歩み。
- 年間
- 年間
先に出た54打が、最後まで効く
ウィリーは最初の組でスタートし、54打、56打とリードを築いた。最後の周回は59打だったが、58・57・56と追い上げた弟を振り切った。
- 年間
優勝回数は、二人が3回ずつ
パークは1860年、1863年に続く全英3勝目。オールド・トム・モリスも3勝しており、第1回から続くライバル同士の争いが続いていた。
- 道具
飛距離を担った、長い木製クラブ
ティーから遠くへ運ぶ役割を担ったのがプレークラブ。写真は1850年頃のD.マキューアンの館蔵品で、長いシャフトと木製ヘッドを持つ。現代のドライバーへつながる形を、当時の競技の記録と見比べられる。
日本のゴルフ
日本での本格的なクラブの歩みは、1903年の神戸ゴルフ倶楽部の開場へつながる。ここでは、この年に確認できない大会や賞金順位を補わない。
この年を、もう少し深く
STORIES OF 1866最初の組から出て、54打。
ウィリー・パークはその日の最初の組でスタート。12ホールを54打で回り、弟デービッドらに4打差をつけた。2周目も56打と、その周回の最少スコアを出してリードを広げた。
弟は58、57、56と追い上げた。
ウィリーの最後の周回は59打。一方、デービッドは周回ごとに1打ずつ縮め、合計171打まで追いつめた。兄が169打で勝ち、弟が2打差の2位。パーク兄弟が上位二つを占めた。
3勝ずつで並ぶ、二人の王者。
ウィリーの全英優勝は1860年、1863年に続く3度目。オールド・トム・モリスの優勝回数に並んだ。第1回から続く二人の競り合いは、翌年も決着の場面に顔を出す。