ゴルフ史

1892年

72ホールになった全英。家業を休んで来たヒルトン。

R.フォーガンのドライバーを道具のアイコンに、当時の選手権の勝者と、ゴルフが広がる歩みを振り返る。新会場ミュアフィールドで、競技の長さは倍になった。出場を直前に決めたアマチュアが、後半36ホールで巻き返す。

この時代のドライバー

R.フォーガンのドライバー。1890年と記録されたR.フォーガンのドライバー。金属のソールと木製ヘッドを備えた館蔵品を、この時代の道具として紹介する。個別選手の使用モデルを断定しない。

R.フォーガンのドライバー。1890年と記録されたR.フォーガンのドライバー。金属のソールと木製ヘッドを備えた館蔵品を、この時代の道具として紹介する。個別選手の使用モデルを断定しない。

選手権を制した主役たち

SEASON LEADERS

確認できる主要選手権の優勝者を掲載。記録のない年間賞金順位や、創設前の大会の勝者は補わない。

  • 英国男子 · オープン選手権

    1892年

    ハロルド・ヒルトン

    全英オープン優勝

    この年の選手権優勝者。年間賞金王の記録ではない。

  • 英国男子 · アマチュア選手権

    1892年

    ジョン・ボール

    全英アマチュア優勝

    この年の選手権優勝者。年間賞金王の記録ではない。

この時代は年間賞金王の欄を無理に揃えず、主要選手権の勝者で振り返る。全英アマは1885年、全英女子アマは1893年、全米の3選手権は1895年から。オープンとアマチュア選手権を一つのプロメジャー数へ合算しない。全英は1892年、全米オープンは1898年に36ホールから72ホールへ変わる。

当時の主要選手権を見渡す

MAJOR CHAMPIONS

男子の主要選手権

1892年に起きたこと

WORLD & JAPAN

世界のゴルフ

英国と米国の選手権、女性の競技、道具と大会の変化。

  1. 年間

    全英オープンはハロルド・ヒルトン

    アマチュアのハロルド・ヒルトンが全英を制した。本戦72ホールの合計は305打。舞台はミュアフィールド。リンクスの風や地形を相手に、その年の王者が生まれた。

  2. 年間

    全英の舞台と、競技の長さ

    ミュアフィールドで争われた全英は、72ホール。1892年からの長い勝負で、前年までの36ホール時代とは優勝スコアの桁も変わった。同じ大会名でも、開催地と方式の変化を合わせて読むと時代の違いがわかる。

  3. 年間

    全英アマチュアはジョン・ボール

    ジョン・ボールがSt George’sで全英アマチュアを制した。決勝結果は3&1。ホールごとの勝敗を争うマッチプレーだった。オープンの合計打数とは別に、アマチュアの王者をたどる。

  4. 年間

    全英はミュアフィールドで初の72ホール

    新しい舞台でアマチュアのハロルド・ヒルトンが優勝した。全英を2日間72ホールで争った最初の年。現在につながる競技の長さと、アマチュアの活躍が重なった。

  5. 道具

    道具のアイコンは、R.フォーガンのドライバー

    R.フォーガンのドライバー。1890年と記録されたR.フォーガンのドライバー。金属のソールと木製ヘッドを備えた館蔵品を、この時代の道具として紹介する。個別選手の使用モデルを断定しない。この年の選手全員が同じモデルを使った、という意味ではない。

日本のゴルフ

この年の日本の全国選手権や賞金順位は掲載しない。六甲の最初の4ホールは1901年、神戸ゴルフ倶楽部の開場は1903年。日本の競技が育つ節目は、これから訪れる。

    この年を、もう少し深く

    STORIES OF 1892

    新しい会場で、2日間の勝負へ。

    オナラブル・カンパニーの新しい本拠地ミュアフィールドが、初めて全英を開催した。競技は1日36ホールから、2日間72ホールへ。18ホールを4回回る大会になった。

    休みをもらい、前日に列車で向かう。

    ハロルド・ヒルトンは、家業を休んで出場することを父に認めてもらうのに苦労したと大会公式の回顧は伝える。直前に出場を決め、前日に列車で現地へ。最初の2ラウンドは78・81で、首位から7打差だった。

    72打と74打で、3打差の優勝。

    2日目は72打、74打。合計305打で、ジョン・ボールら2位の三人に3打差をつけた。1890年のボールに続く、二人目のアマチュア王者。二人はともにホイレークのクラブの選手だった。