1889年
本戦36ホール、延長36ホール。マッセルバラ最後の全英。
G.フォレスターのドライバーを道具のアイコンに、当時の選手権の勝者と、ゴルフが広がる歩みを振り返る。155打で並んだウィリー・パーク・ジュニアとアンドリュー・カーカルディ。9ホールのコースを、二人は合計8周した。
この時代のドライバー

G.フォレスターのドライバー。1885年と記録されたG.フォレスターのドライバー。木製ヘッドと首の接合、ホーンの補強が見える館蔵の実物写真。この年の新発売や使用率首位を示すものではない。
選手権を制した主役たち
SEASON LEADERS確認できる主要選手権の優勝者を掲載。記録のない年間賞金順位や、創設前の大会の勝者は補わない。
英国男子 · オープン選手権
1889年
全英オープン優勝
この年の選手権優勝者。年間賞金王の記録ではない。
英国男子 · アマチュア選手権
1889年
全英アマチュア優勝
この年の選手権優勝者。年間賞金王の記録ではない。
この時代は年間賞金王の欄を無理に揃えず、主要選手権の勝者で振り返る。全英アマは1885年、全英女子アマは1893年、全米の3選手権は1895年から。オープンとアマチュア選手権を一つのプロメジャー数へ合算しない。全英は1892年、全米オープンは1898年に36ホールから72ホールへ変わる。
当時の主要選手権を見渡す
MAJOR CHAMPIONS男子の主要選手権
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1889年に起きたこと
WORLD & JAPAN世界のゴルフ
英国と米国の選手権、女性の競技、道具と大会の変化。
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全英オープンはウィリー・パーク・ジュニア
ウィリー・パーク・ジュニアが全英を制した。本戦36ホールの合計は155打。同点から延長戦を勝ち抜いての優勝だった。
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全英の舞台と、競技の長さ
マッセルバラで争われた全英は、36ホール。現在の72ホールとは競技の長さが違う。マッセルバラは9ホールを4周するコース。
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マッセルバラで最後の全英
9ホールを4周する全英は、マッセルバラではこの年が最後となる。全英の舞台は1892年にミュアフィールドへ広がり、競技は72ホールへ変わっていく。
- 道具
道具のアイコンは、G.フォレスターのドライバー
G.フォレスターのドライバー。1885年と記録されたG.フォレスターのドライバー。木製ヘッドと首の接合、ホーンの補強が見える館蔵の実物写真。この年の新発売や使用率首位を示すものではない。この年の選手全員が同じモデルを使った、という意味ではない。
日本のゴルフ
この年の日本の全国選手権や賞金順位は掲載しない。六甲の最初の4ホールは1901年、神戸ゴルフ倶楽部の開場は1903年。日本の競技が育つ節目は、これから訪れる。
この年を、もう少し深く
STORIES OF 1889最後の3ホールで、2打を追いつく。
パーク・ジュニアは残り3ホールで2打差を追っていた。最後に勝てるパットはカップの縁で止まったが、155打でアンドリュー・カーカルディに並んだ。マッセルバラの全英では最少の36ホール合計だった。
延長戦は158対163。2年ぶりの王者。
追加の36ホールでは、パークが39・43・37・39の158打。カーカルディに5打差をつけた。1887年に続く2勝目で、父ウィリーの4勝、叔父マンゴーの1勝と合わせ、パーク家の全英優勝は七つになった。
この9ホールでの全英は、これが最後。
マッセルバラが全英を開いたのは、この年が最後となった。会場の一つを担っていたオナラブル・カンパニーはミュアフィールドへ移り、1892年の全英は新しい場所で行われる。