国・地域未確認 · 男子・アマチュア
ボビー・ジョーンズ
Bobby Jones
日本語名は仮表記です。英語名を併記しています。
人物と歩み
アマチュアのまま世界の頂点に立ち、弁護士の仕事も持った米国の名手。1930年に当時の四大選手権を同じ年に制した。
全英では最初のセントアンドリュースで途中棄権を経験したが、その後は1926年、1927年、1930年に優勝。全米オープン4勝、全米アマ5勝、全英アマ1勝を重ねた。
1930年の年間グランドスラム後、28歳で第一線を退いた。後にはオーガスタ・ナショナルを創設し、マスターズを始めた。勝つ選手から、次の舞台をつくる人へ歩みを変えた。
生涯成績
PGA TOUR認定通算9勝。男子メジャー7勝。1923〜1930年に2種類のメジャーで優勝。
- PGA TOUR認定通算
- 9勝
- 男子メジャー通算
- 7勝
- メジャー優勝大会の種類
- 2大会
公式資料の確認日:
ツアー通算勝利には、そのツアーが認定するメジャー優勝を含みます。メジャー勝利を足し合わせた総勝利数ではありません。一般・シニア・アマチュアの実績は区別しています。 歴史上の選手は、遡及認定を含むツアー通算と公式プロフィール掲載のプロ通算を分けて表示します。
メジャー優勝の内訳
- 全米オープン · 4勝
- 1923年、1926年、1929年、1930年
- 全英オープン · 3勝
- 1926年、1927年、1930年
PGA TOUR認定通算は2026年公式メディアガイドの歴代一覧に基づきます。ツアー創設前やアマチュア時代の認定勝利を含むため、当時の所属ツアーやプロとしての勝利数を示すものではありません。メジャー通算とは重複するため合算しません。 アマチュアとしての実績であり、アマチュア選手権を男子プロメジャー通算へ追加していません。
メジャーでのキャリア
1923年の全米オープンで最初のメジャー優勝。その後も勝利を重ね、1930年の全米オープン・全英オープンまでに通算7勝を挙げた。
大会ごとの実績
最多優勝の大会は全米オープンで4勝(1923・1926・1929・1930年)。優勝したメジャーは2種類。同一年に複数のメジャーを制したのは1926年・1930年。
公式記録に残る通算勝利
PGA TOURの公式歴代勝利一覧では通算9勝と認定されている。歴史上の大会を遡って認定した記録を含み、世界各地の全大会を合計した生涯総勝利数ではない。
キャリア年表
ゴルフ史でたどるキャリア
駒沢で井上信が勝つ。日本アマ、初の日本人王者。
全英とUSGAの選手権は、この年も休止した。米国では8月14日、16歳のボビー・ジョーンズらが赤十字支援の試合に出場。後に多くのタイトルを勝つ若者も、当時は募金のために各地を回っていた。
1918年のゴルフ史を読む →見えないグリーンへ175ヤード。ジョーンズ、初めての全英。
初めて全英を迎えたロイヤル・リザムで、ジョーンズはアル・ワトラスに2打遅れていた。終盤を4・3・4・4・4で回り、最後は291打。ワトラスの293打を逆転した。
17番では砂地から、砂丘に隠れたグリーンを狙った。使ったのはアイアンの一種、マッシー・ニブリック。175ヤードの一打はワトラスより近くに止まり、相手は3パット。ジョーンズの一打が勝負を動かした。
ジョーンズは数週間後に全米も勝ち、初めて同一年に両オープンを制した選手となった。日本では5月21日、東京と関西の婦人ゴルフ倶楽部の対抗戦が東京ゴルフ倶楽部で行われ、東京が7.5対1.5で勝った。
1926年のゴルフ史を読む →日本オープンが始まる。初代王者はアマの赤星六郎。
セントアンドリュースではジョーンズが285打、6打差で全英を連覇した。大会公式は、グリーン上で使うパター「カラミティ・ジェーン」を高く掲げた王者が、観衆の肩に担がれた場面を伝えている。
1927年のゴルフ史を読む →浅見緑蔵が日本オープンを勝つ。ヘーゲンは全英3勝目。
全英前の72ホールのマッチで、ヘーゲンはアーチー・コンプストンに18&17の大差で敗れた。公式回顧は、その後に練習と準備へ集中したと伝える。前年王者のジョーンズは全英に出場しなかった。
1928年のゴルフ史を読む →四つを、一年で。ジョーンズのグランドスラム。
ジョーンズが目指したのは、英国と米国それぞれのオープンとアマチュア選手権。マスターズはまだ始まっておらず、アマチュアの彼は全米プロには出場できなかった。当時の四つの選手権を一年で制した記録だ。
まず全英アマチュア選手権を初めて勝ち、全英オープンでは291打、2打差で3勝目を挙げた。続いて米国のインターラケンで全米オープンも制覇。最後に残ったのが、9月のメリオンで行われる全米アマチュア選手権だった。
全米アマの決勝はユージン・ホーマンズとの36ホールのマッチプレー。ジョーンズは8ホールリード、残り7ホールの8&7で勝った。四つ目の優勝が決まり、年間グランドスラムが完成した。
1930年のゴルフ史を読む →4番ウッドのアルバトロス。タイトリストの最初の球。
この勝利でジーン・サラゼンは、マスターズ、全米オープン、全英オープン、全米プロの四大会を生涯で制した最初の選手となった。生涯グランドスラムの達成だ。異なる年に積み上げた四つの優勝で、1930年にジョーンズが一年で制した当時の四大会とは分けて記録される。
1935年のゴルフ史を読む →
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1926年全英オープンの最終ラウンド前、ジョーンズは選手バッジをホテルに忘れた。 ゲートで再入場を断られ、一般入口で2シリング6ペンスを支払ったと公式回顧記事は伝える。 同じ日の17番では残り175ヤードの難しい第2打を寄せ、初の全英制覇を引き寄せた。
全英オープン会場のロイヤル・リバプールで2025年12月、排水工事中に不発砲弾とみられる物体が見つかった。 コースは一時閉鎖され、専門部隊の制御爆破を経て翌日に再開した。 クラブの戦時記録をたどると、地雷原や有刺鉄線から芝生を取り戻した歴史が見えてくる。
USGAは10月8日、メリオンGCを全米オープンの4番目の長期開催拠点に指定した。 全米オープン3回、全米女子オープン2回を2050年までに開催する予定。 パインハースト、オークモント、ペブルビーチに加わり、施設整備や大会運営を長期的に計画する。
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