1935年
4番ウッドのアルバトロス。タイトリストの最初の球。
ジーニー・ディーンズを時代のアイコンに、米男子の賞金首位と、世界・日本の選手権、女性たちの競技まで振り返る。マスターズ15番で、サラゼンの2打目がそのままカップへ。ボールの世界では、1932年の一つの疑問から生まれたタイトリストが登場する。
この時代のドライバー

ジーニー・ディーンズは、ボビー・ジョーンズの1930年のグランドスラムにつながるドライバーの名。写真はLouisville Golfの現代の復刻品で、ジョーンズが使った現物ではない。原型はジャック・ホワイトのクラブ。
この年の主役と、賞金の記録
SEASON LEADERS米男子は記録がある1934年以降の年間賞金首位、それ以前は全米王者。女子と日本は当時の主要選手権を取り上げる。選手権の優勝を年間賞金王とは数えない。
米男子 · PGAの賞金記録
1935年
$9,543.00
年間賞金首位(歴代記録)
PGA TOUR公式ガイドの年間賞金首位。1大会の優勝賞金や後年のボーナスとは分けて掲載する。
米女子 · アマチュア選手権
1935年
全米女子アマチュア優勝
LPGA創設は1950年。この年は女子の全国選手権優勝者を掲載し、プロの年間賞金女王とは扱わない。
日本男子 · 全国選手権
1935年
日本オープン優勝
日本の現行ツアー制は1973年開始。この欄は選手権の勝者で、年間賞金王ではない。
日本女子 · 競技の背景
1935年
女子プロ賞金制度の成立前
倶楽部から競技が育つ時代
女子プロ部門の発足は1967年、歴代賞金女王表は1968年から。女性がプレーしていなかったという意味ではなく、後年の賞金ランキングをこの年へ遡らせない。
主要選手権の勝者を、一望する
MAJOR CHAMPIONS女子の主要競技
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1935年に起きたこと
WORLD & JAPAN世界のゴルフ
全国選手権の勝者、女性たちの競技、道具と時代の変化。
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全米オープンはサム・パークス・ジュニア
サム・パークス・ジュニアが全米オープンを制した。72ホールの合計は299打。全国選手権の優勝と、シーズンを通した賞金成績は別の記録だ。
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全米女子アマはグレナ・コレット・ベア
グレナ・コレット・ベアが全米女子アマチュアを制した。LPGA創設前の女性たちの主要な競技舞台を示す結果で、後の女子プロメジャーや年間賞金女王とは区別して掲載する。
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女子ウェスタン・オープンはオパール・ヒル
オパール・ヒルが女子ウェスタン・オープンを制した。優勝時点ではアマチュア。LPGA発足前に行われ、後にLPGAの歴代メジャー記録へ収められた大会。全米女子アマチュアと同じ大会ではない。
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賞金首位は、メジャー優勝とは別の称号
ジョニー・レボルタが年間賞金首位で、公式ガイドの記録は$9,543.00。メジャーを勝った顔ぶれと並べると、1大会の強さと年間を通じた成績の違いも見えてくる。
- 道具
ジョーンズのドライバーには名前があった
ジーニー・ディーンズという名前は、ボビー・ジョーンズが愛用ドライバーにつけたもの。ジャック・ホワイトの原型をもとにした現代の復刻品の写真で、その木製ヘッドとヒッコリーシャフトの姿を紹介する。原型の年代を示すもので、この年の新製品ではない。
日本のゴルフ
選手権の結果に、倶楽部や競技団体の歩みを重ねて読む。
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競技規則を日本語に
8月、ゴルフ競技規則の邦文が制定された。英文を読める人だけの理解に頼らず、プレーヤーが共通の言葉で規則を学べるようになる。選手の海外遠征と並び、国内の競技基盤を整える節目だった。
この年を、もう少し深く
STORIES OF 1935パー5を、たった2打で。
サラゼンは最終ラウンドの15番で、235ヤード先から4番ウッドの2打目を直接カップに入れた。パーより3打少ないアルバトロスでウッドに追いつき、翌日のプレーオフを制した。
サラゼンが、初の生涯グランドスラム。
この勝利でジーン・サラゼンは、マスターズ、全米オープン、全英オープン、全米プロの四大会を生涯で制した最初の選手となった。生涯グランドスラムの達成だ。異なる年に積み上げた四つの優勝で、1930年にジョーンズが一年で制した当時の四大会とは分けて記録される。
入らなかったパットから、ボールづくりへ。
タイトリストの公式史によると、フィル・ヤングは1932年にパットを外し、球をX線で調べて芯のずれに気づいた。均一な球を目指した開発を経て、最初のタイトリスト・ボールが1935年に登場した。