ゴルフ史

1923年

18番のバンカーから、そのまま入る。ヘイバースの全英。

マグレガー・デイトンを時代のアイコンに、世界・日本の選手権、女性たちの競技まで振り返る。初めて全英を迎えたトゥルーン。アーサー・ヘイバースは最後のバンカーから直接カップに入れ、前年王者を1打抑えた。

この時代のドライバー

マグレガー・デイトンの1915年頃の型を、この時代のドライバーのアイコンに選んだ。写真はLouisville Golf製の現代の復刻品で、当時の現物ではない。この年の新発売や使用率首位を意味しない。

マグレガー・デイトンの1915年頃の型を、この時代のドライバーのアイコンに選んだ。写真はLouisville Golf製の現代の復刻品で、当時の現物ではない。この年の新発売や使用率首位を意味しない。

この年の主役と、賞金の記録

SEASON LEADERS

米男子は記録がある1934年以降の年間賞金首位、それ以前は全米王者。女子と日本は当時の主要選手権を取り上げる。選手権の優勝を年間賞金王とは数えない。

  • 米男子 · 全国選手権

    1923年

    ボビー・ジョーンズ

    全米オープン優勝

    採用したPGA歴代年間賞金首位表は1934年から。この欄は賞金王を推測せず、この年の全米王者を掲載する。優勝者はアマチュア。

  • 米女子 · アマチュア選手権

    1923年

    イーディス・カミングス

    全米女子アマチュア優勝

    LPGA創設は1950年。この年は女子の全国選手権優勝者を掲載し、プロの年間賞金女王とは扱わない。

  • 日本男子 · 全国選手権

    1923年

    日本アマは開催中止

    関東大震災による休止

    日本オープンや日本プロ選手権の創設より前の年。震災で中止した日本アマの勝者を推測しない。

  • 日本女子 · 競技の背景

    1923年

    女子プロ賞金制度の成立前

    倶楽部から競技が育つ時代

    女子プロ部門の発足は1967年、歴代賞金女王表は1968年から。女性がプレーしていなかったという意味ではなく、後年の賞金ランキングをこの年へ遡らせない。

男子は後に四大メジャーとなる大会のうち、この年までに始まった大会だけを掲載。マスターズは1934年、全米プロは1916年からで、当時の全米プロはマッチプレー。女子は全米女子アマと、1930年以降の女子ウェスタン、1937年以降のタイトルホルダーズを並べる。全米女子アマはプロのメジャーに数えず、後のLPGA認定大会と区別する。

主要選手権の勝者を、一望する

MAJOR CHAMPIONS

1923年に起きたこと

WORLD & JAPAN

世界のゴルフ

全国選手権の勝者、女性たちの競技、道具と時代の変化。

  1. 年間

    全米オープンはボビー・ジョーンズ

    アマチュアのボビー・ジョーンズが全米オープンを制した。72ホールの合計は296打。同スコアで並んだ後、プレーオフを勝ち切った。

  2. 年間

    全英オープンはアーサー・ヘイバース

    アーサー・ヘイバースが全英オープンを制した。72ホールの合計は295打。全国選手権の優勝と、シーズンを通した賞金成績は別の記録だ。

  3. 年間

    全米プロはジーン・サラゼン

    ジーン・サラゼンが全米プロを制した。決勝の結果は1-up。当時は相手とのホールごとの勝敗を積み重ねるマッチプレーで、後年の72ホール合計打数による優勝とは記録の読み方が違う。

  4. 年間

    全米アマチュアにも、もう一人の王者

    マックス・R・マーストンが全米アマチュアを制した。オープンがプロとアマの双方へ門戸を開くのに対し、こちらはアマチュアの全国選手権。賞金を得るプロの大会だけでは、この時代の頂点を追いきれない。

  5. 年間

    全米女子アマはイーディス・カミングス

    イーディス・カミングスが全米女子アマチュアを制した。LPGA創設前の女性たちの主要な競技舞台を示す結果で、後の女子プロメジャーや年間賞金女王とは区別して掲載する。

  6. 道具

    ヒッコリーの道具を、原型と復刻から知る

    マグレガー・デイトンは1915年頃の原型を持つ木製シャフト時代のドライバー。掲載写真は現代の復刻品で、当時の選手がこの個体を使ったという意味ではない。今の復刻品の素材仕様を、戦前の仕様へそのまま遡らせない。

日本のゴルフ

選手権の結果に、倶楽部や競技団体の歩みを重ねて読む。

  1. 年間

    関東大震災で日本アマは開かれず

    この年の日本アマチュアは関東大震災のため開催されなかった。後の戦時休止とは事情が異なる空白。米国の大会結果が続く年でも、日本の優勝者を推測で埋めない。

  2. 年間

    プロの全国大会が始まる前の日本

    日本プロの大会史の始まりは1926年、日本オープンは1927年。この年の日本を現在のツアー賞金表で見る代わりに、日本アマチュアの勝者と会場を並べると、競技が倶楽部から育った時代がわかる。

この年を、もう少し深く

STORIES OF 1923

73打を三つ並べて、最後の18ホールへ。

アーサー・ヘイバースは最初の3ラウンドをすべて73打で回った。前年王者のヘーゲンは2打差の位置。初開催のトゥルーンで、英国のプロと米国の王者が優勝を争った。

二人が入れた、同じバンカー。

ヘイバースは18番の第2打をバンカーへ入れたが、次の一打を直接沈めて76打、合計295打。後から来たヘーゲンも同じバンカーに入り、同じようには決められず、296打で終えた。

深い穴のあるアイアンは、修正して使う。

大会前にはサラゼンらのアイアンも問題になった。フェースに深く刻まれた穴が当時の規定に適合せず、修正が必要になったという。スピンを生む道具と規則を巡る議論が、この年も続いていた。