1945年
ネルソン、年間18勝。その中に11連勝。
ミズノ トーナメントを時代のアイコンに、世界と日本の賞金・主要大会・ゴルフの歩みを振り返る。バイロン・ネルソンがツアーで18回優勝し、春から夏には11大会を続けて制した。戦争が終わった日本では、協会の復帰とコースの復旧が課題になる。
賞金王と、この年の競技の歩み
SEASON LEADERS世界と日本の賞金首位。ツアー制度の成立前、戦時の未集計、参考記録は区別して読む。
米男子 · PGAの記録
1945年
$63,335.66
戦時国債による年間賞金記録
戦時国債(War Bonds)として記録された額。通常の現金賞金と同じ受取り方だったとは扱わない。
米女子 · LPGA
1945年
LPGA発足前
年間ツアー賞金王は置かない
LPGAの発足は1950年。先行するWPGAや女子の選手権の歩みは、この年の話題と主要大会で読む。
日本男子 · ツアー制以前
1945年
現行ランキングの成立前
公式ツアー賞金王の対象外
現行のツアー制度は1973年開始。この年の日本は、全国選手権やアマチュア競技、競技再開の歩みで振り返る。
日本女子 · 国内ツアー
1945年
ツアー賞金記録の成立前
歴代賞金女王表は1968年から
日本プロゴルフ協会の女子部が1967年に発足。1968年からの歴代賞金女王表を、この年へ遡らせない。
メジャーの勝者を、一望する
MAJOR CHAMPIONS女子の主要選手権
- 年間
- 休止タイトルホルダーズ選手権開催中止
1945年に起きたこと
WORLD & JAPAN世界のゴルフ
開催されたメジャーと、その休止。女子の舞台や年間の成績にも目を向ける。
- 休止
マスターズは開催されず
戦時下で大会は休止。この年に優勝者を置かず、再開後の記録と区別する。
- 休止
全米オープンは開催されず
戦時下で大会は休止。この年に優勝者を置かず、再開後の記録と区別する。
- 休止
全英オープンは開催されず
戦時下で大会は休止。この年に優勝者を置かず、再開後の記録と区別する。
- 年間
- 年間
女子の主要タイトルを追う
女子ウェスタン・オープンはベーブ・ディドリクソン・ザハリアス(アマチュア)。
- 年間
LPGAの発足前、女子選手たちの舞台
女子には、タイトルホルダーズやウェスタンという先行する大会があった。LPGAが1950年に生まれる前の優勝も、後年の公式メジャー記録に残っている。
日本のゴルフ
全国選手権、アマチュア、女子の競技。賞金制度が整う前の時代から日本の歩みをたどる。
- 休止
日本オープンは再開前
日本オープンの戦後再開は1950年。この年に優勝者や優勝賞金を置かず、競技が戻るまでの歩みをたどる。
- 休止
日本プロも、復活までの途上
戦前の最後の開催は1942年。日本プロが再び行われるのは1949年で、戦時中と戦後復興の空白を挟んでいる。
- 年間
終戦後も、コース復旧が必要だった
戦争が終わっても、ゴルフ場の復旧はすぐには進まなかった。協会がスポーツ団体へ戻る動きと、実際の大会再開との間には時間があった。
- 年間
道具に残る、戦前からのつながり
1936年登場のミズノ トーナメント。戦前に作られた木製ヘッドを、この時代の道具のアイコンとして選んだ。
この年を、もう少し深く
STORIES OF 1945春から夏まで、優勝が続く。
ネルソンは1945年、年間18勝を挙げた。そのうち11連勝は3月半ばから8月半ばまで続く。最初のマイアミの大会は、ジャグ・マクスパデンと組んで戦ったペアのマッチプレーだった。
同じ「一勝」でも、戦い方は違う。
次のシャーロットではスニードとの18ホールの延長戦を二度行い、合計108ホールを戦った。全米プロも連勝の一つ。72ホールの個人戦だけを11回続けて勝った記録ではない。
終戦しても、すぐには戻れない。
日本では終戦後、ゴルフ協会が体育協会の加盟団体として復帰できることになった。しかし、ゴルフ場など施設の復旧が追いつかず、活動の再開は遅れたとJGAの年史は記している。
