1967年
日本の女子プロが、組織として歩み始める。
シルバーフラッシュを時代のアイコンに、世界と日本の賞金・主要大会・ゴルフの歩みを振り返る。日本プロゴルフ協会に女子部ができた。のちの日本女子プロゴルフ協会につながる出発点。海外では44歳のロベルト・デビセンゾが、長く追い続けた全英タイトルを手にする。
この時代のドライバー

1964年登場のシルバーフラッシュ。白いフェースのインサートと丸みのある木製ヘッドが、この時代のドライバーを伝える。この年の新発売ではなく、登場年を明記した継続モデルとして掲載する。
賞金王と、この年の競技の歩み
SEASON LEADERS世界と日本の賞金首位。ツアー制度の成立前、戦時の未集計、参考記録は区別して読む。
米男子 · PGAの記録
1967年
$188,998.08
年間賞金首位(歴代記録)
公式記録集に掲載された年間の賞金首位。現在のボーナスや後年のシーズン区分とは合算しない。
米女子 · LPGA
1967年
$32,937
年間賞金ランキング 1位
米女子ツアーの年間賞金首位。大会優勝やアマチュアのメジャー優勝とは分けて振り返る。
日本男子 · ツアー制以前
1967年の参考記録
¥3,600,000
参考:獲得賞金首位
当時の取材記録による年間1勝。1973年以降の公式ランキングとは区別する。海外競技を含む当時の参考集計。
日本女子 · 国内ツアー
1967年
女子プロ部門の創立年
歴代賞金女王表は1968年から
日本プロゴルフ協会の女子部が1967年に発足。1968年からの歴代賞金女王表を、この年へ遡らせない。
男子メジャーは4大会の開催・休止を表示。全米プロは1957年までマッチプレー、1958年からストロークプレー。女子は当時の主要選手権を並べ、後年の4大会・5大会制を遡らせない。「アマ」は優勝当時のアマチュア資格を示す。
メジャーの勝者を、一望する
MAJOR CHAMPIONS女子の主要選手権
- 年間
- 年間
- 年間
1967年に起きたこと
WORLD & JAPAN世界のゴルフ
開催されたメジャーと、その休止。女子の舞台や年間の成績にも目を向ける。
- 年間
- 年間
ジャック・ニクラウスの全米オープン
ジャック・ニクラウスが全米オープンを合計275打で制した。
- 年間
ロベルト・デビセンゾの全英オープン
ロベルト・デビセンゾが全英オープンを合計278打で制した。
- 年間
ドン・ジャニュアリーの全米プロ
ドン・ジャニュアリーが全米プロを合計281打で制した。本戦の同スコアから延長戦で勝負を決めた。
- 年間
女子の主要タイトルを追う
全米女子オープンはカトリーヌ・ラコスト(アマチュア)。全米女子プロはキャシー・ウィットワース。女子ウェスタン・オープンはキャシー・ウィットワース。アマチュア優勝者を含み、女子ウェスタンはこの年を最後に終了した。
- 年間
シーズンを通じた賞金の頂点
ジャック・ニクラウスが米男子の年間首位、キャシー・ウィットワースが米女子の賞金首位。メジャー一大会の勝者と、シーズン全体で積み上げた成績を並べて振り返る。
日本のゴルフ
全国選手権、アマチュア、女子の競技。賞金制度が整う前の時代から日本の歩みをたどる。
この年を、もう少し深く
STORIES OF 1967日本プロゴルフ協会に、女子部ができる。
1967年、日本プロゴルフ協会に女子部が発足した。現在のJLPGAにつながる組織の始まりで、独立して日本女子プロゴルフ協会となるのは1974年。まずは女子プロの舞台を支える土台が生まれた。
44歳、届きそうで届かなかったジャグ。
ホイレイクの全英では、デビセンゾが278打で優勝した。過去十回の出場には2位一回、3位五回があったが、優勝は初めて。44歳で、オールド・トム・モリスに次ぐ高齢の全英王者となった。
内側のOBを越える、3番ウッド。
最終ラウンドの当時16番で、デビセンゾはコース内のOBを越える線へ3番ウッドを放ち、グリーンをとらえた。ここでバーディを取り、ニクラウスを2打差で退ける。大胆な一打も優勝を支えた。