ゴルフ史

1934年

マスターズの最初の年。「65」の生まれた全英。

ジーニー・ディーンズを時代のアイコンに、米男子の賞金首位と、世界・日本の選手権、女性たちの競技まで振り返る。オーガスタで、のちにマスターズと呼ばれる招待大会が始まる。海の向こうではヘンリー・コットンが65打を記録し、その数字がボールの名にも残った。

この時代のドライバー

ジーニー・ディーンズは、ボビー・ジョーンズの1930年のグランドスラムにつながるドライバーの名。写真はLouisville Golfの現代の復刻品で、ジョーンズが使った現物ではない。原型はジャック・ホワイトのクラブ。

ジーニー・ディーンズは、ボビー・ジョーンズの1930年のグランドスラムにつながるドライバーの名。写真はLouisville Golfの現代の復刻品で、ジョーンズが使った現物ではない。原型はジャック・ホワイトのクラブ。

この年の主役と、賞金の記録

SEASON LEADERS

米男子は記録がある1934年以降の年間賞金首位、それ以前は全米王者。女子と日本は当時の主要選手権を取り上げる。選手権の優勝を年間賞金王とは数えない。

  • 米男子 · PGAの賞金記録

    1934年

    ポール・ラニアン

    $6,767.00

    年間賞金首位(歴代記録)

    PGA TOUR公式ガイドの年間賞金首位。1大会の優勝賞金や後年のボーナスとは分けて掲載する。

  • 米女子 · アマチュア選手権

    1934年

    バージニア・バン・ウィー

    全米女子アマチュア優勝

    LPGA創設は1950年。この年は女子の全国選手権優勝者を掲載し、プロの年間賞金女王とは扱わない。

  • 日本男子 · 全国選手権

    1934年

    宮本留吉

    日本プロ選手権優勝

    日本の現行ツアー制は1973年開始。この欄は選手権の勝者で、年間賞金王ではない。

  • 日本女子 · 競技の背景

    1934年

    女子プロ賞金制度の成立前

    倶楽部から競技が育つ時代

    女子プロ部門の発足は1967年、歴代賞金女王表は1968年から。女性がプレーしていなかったという意味ではなく、後年の賞金ランキングをこの年へ遡らせない。

男子は後に四大メジャーとなる大会のうち、この年までに始まった大会だけを掲載。マスターズは1934年、全米プロは1916年からで、当時の全米プロはマッチプレー。女子は全米女子アマと、1930年以降の女子ウェスタン、1937年以降のタイトルホルダーズを並べる。全米女子アマはプロのメジャーに数えず、後のLPGA認定大会と区別する。

主要選手権の勝者を、一望する

MAJOR CHAMPIONS

1934年に起きたこと

WORLD & JAPAN

世界のゴルフ

全国選手権の勝者、女性たちの競技、道具と時代の変化。

  1. 年間

    マスターズはホートン・スミス

    ホートン・スミスがマスターズを制した。72ホールの合計は284打。全国選手権の優勝と、シーズンを通した賞金成績は別の記録だ。

  2. 年間

    全米オープンはオリン・デュトラ

    オリン・デュトラが全米オープンを制した。72ホールの合計は293打。全国選手権の優勝と、シーズンを通した賞金成績は別の記録だ。

  3. 年間

    全英オープンはヘンリー・コットン

    ヘンリー・コットンが全英オープンを制した。72ホールの合計は283打。全国選手権の優勝と、シーズンを通した賞金成績は別の記録だ。

  4. 年間

    全米プロはポール・ラニアン

    ポール・ラニアンが全米プロを制した。決勝の結果は1-up。当時は相手とのホールごとの勝敗を積み重ねるマッチプレーで、後年の72ホール合計打数による優勝とは記録の読み方が違う。

  5. 年間

    全米アマチュアにも、もう一人の王者

    ローソン・リトルが全米アマチュアを制した。オープンがプロとアマの双方へ門戸を開くのに対し、こちらはアマチュアの全国選手権。賞金を得るプロの大会だけでは、この時代の頂点を追いきれない。

  6. 年間

    全米女子アマはバージニア・バン・ウィー

    バージニア・バン・ウィーが全米女子アマチュアを制した。LPGA創設前の女性たちの主要な競技舞台を示す結果で、後の女子プロメジャーや年間賞金女王とは区別して掲載する。

  7. 年間

    女子ウェスタン・オープンはマリアン・マクドゥーガル

    マリアン・マクドゥーガルが女子ウェスタン・オープンを制した。優勝時点ではアマチュア。LPGA発足前に行われ、後にLPGAの歴代メジャー記録へ収められた大会。全米女子アマチュアと同じ大会ではない。

  8. 年間

    賞金首位は、メジャー優勝とは別の称号

    ポール・ラニアンが年間賞金首位で、公式ガイドの記録は$6,767.00。メジャーを勝った顔ぶれと並べると、1大会の強さと年間を通じた成績の違いも見えてくる。

  9. 道具

    ジョーンズのドライバーには名前があった

    ジーニー・ディーンズという名前は、ボビー・ジョーンズが愛用ドライバーにつけたもの。ジャック・ホワイトの原型をもとにした現代の復刻品の写真で、その木製ヘッドとヒッコリーシャフトの姿を紹介する。原型の年代を示すもので、この年の新製品ではない。

日本のゴルフ

選手権の結果に、倶楽部や競技団体の歩みを重ねて読む。

  1. 年間

    日本アマチュアは鍋島直泰

    東京GC朝霞コースで鍋島直泰が日本アマチュアを制した。決勝の結果は10 and 8。直接対決を勝ち抜くマッチプレーの記録だ。プロの賞金王とは別に、日本のアマチュア競技の主役を記録する。

  2. 年間

    日本オープンは開催されず

    日本オープンは関西の風水害により開催されなかった。同じ年の日本プロ選手権や日本アマチュアの開催状況を、別々に確かめる必要がある。

  3. 年間

    日本プロは宮本留吉

    広野で宮本留吉が日本プロ選手権に優勝。風水害を受けて直前に開催地を変更し、雨の中で勝者を決めた。

  4. 年間

    風水害で日本オープンが中止

    関西の風水害により日本オープンは開催されなかった。一方、日本プロ選手権は直前に茨木から廣野へ会場を移して開催し、宮本留吉が優勝。同じ災害に直面しても、大会ごとの対応は異なった。

この年を、もう少し深く

STORIES OF 1934

最初は、オーガスタの招待大会。

第1回大会はオーガスタ・ナショナル・インビテーション・トーナメントという名で行われた。ホートン・スミスが70、72、70、72の284打で優勝。クレイグ・ウッドを1打差でかわした。

17番と呼ばれていたホールで、バーディー。

スミスは最終ラウンドの17番で長いバーディーパットを沈め、最後もパーで締めた。当時の17番は、現在の8番。大会の始まりを辿ると、コースの順番の変化にも出会う。

全英の65が、ボールの名前に残る。

全英ではコットンが第2ラウンドに65打を記録し、合計283打で優勝。ダンロップが後にボールを「65」と名づけた由来になった。