ゴルフ史

1902年

糸巻きボールで、1打差。ハードが全英を制す。

マグレガーの木製ドライバーを道具のアイコンに、当時の選手権の勝者と、ゴルフが広がる歩みを振り返る。練習ラウンドで試した新しい球を、本番にも持っていった。サンディー・ハードが、バードンとブレイドを1打抑えた。

この時代のドライバー

マグレガーの木製ドライバー。館蔵目録が1900〜1919年の範囲に置く、マグレガーの木製ドライバー。添付札の年代表示は1900年。実物写真を時代のアイコンとして使い、単年の発売モデルや王者の使用品とは断定しない。

マグレガーの木製ドライバー。館蔵目録が1900〜1919年の範囲に置く、マグレガーの木製ドライバー。添付札の年代表示は1900年。実物写真を時代のアイコンとして使い、単年の発売モデルや王者の使用品とは断定しない。

選手権を制した主役たち

SEASON LEADERS

確認できる主要選手権の優勝者を掲載。記録のない年間賞金順位や、創設前の大会の勝者は補わない。

  • 英国男子 · オープン選手権

    1902年

    サンディー・ハード

    全英オープン優勝

    この年の選手権優勝者。年間賞金王の記録ではない。

  • 米男子 · オープン選手権

    1902年

    ローリー・オークタロニー

    全米オープン優勝

    この年の選手権優勝者。年間賞金王の記録ではない。

  • 英国女子 · アマチュア選手権

    1902年

    M・ヘズレット

    全英女子アマチュア優勝

    この年の選手権優勝者。年間賞金王の記録ではない。

  • 米女子 · アマチュア選手権

    1902年

    ジュヌビエーブ・ヘッカー

    全米女子アマチュア優勝

    この年の選手権優勝者。年間賞金王の記録ではない。

この時代は年間賞金王の欄を無理に揃えず、主要選手権の勝者で振り返る。全英アマは1885年、全英女子アマは1893年、全米の3選手権は1895年から。オープンとアマチュア選手権を一つのプロメジャー数へ合算しない。全英は1892年、全米オープンは1898年に36ホールから72ホールへ変わる。

当時の主要選手権を見渡す

MAJOR CHAMPIONS

1902年に起きたこと

WORLD & JAPAN

世界のゴルフ

英国と米国の選手権、女性の競技、道具と大会の変化。

  1. 年間

    全英オープンはサンディー・ハード

    サンディー・ハードが全英を制した。本戦72ホールの合計は307打。舞台はロイヤル・リバプール。リンクスの風や地形を相手に、その年の王者が生まれた。

  2. 年間

    全英アマチュアはチャールズ・ハッチングズ

    チャールズ・ハッチングズがRoyal Liverpoolで全英アマチュアを制した。決勝結果は1 hole。ホールごとの勝敗を争うマッチプレーだった。オープンの合計打数とは別に、アマチュアの王者をたどる。

  3. 年間

    全米オープンはローリー・オークタロニー

    ローリー・オークタロニーが本戦72ホールを307打で回り優勝。英国とは別に、米国のコースでもオープン選手権の歴史が積み重なっていく。

  4. 年間

    全米アマチュアの頂点はルイス・N・ジェームズ

    ルイス・N・ジェームズが全米アマチュアを制した。プロとアマが同じフィールドで戦う全米オープンとは別の選手権。アマチュアのタイトルも、この時代の主役を知る重要な記録だ。

  5. 年間

    全英女子アマチュアはM・ヘズレット

    M・ヘズレットがDealで優勝。20ホール目で決着。1893年に始まった女性たちの主要選手権で、後年の女子プロの賞金順位やメジャーとは分けて振り返る。

  6. 年間

    全米女子アマチュアはジュヌビエーブ・ヘッカー

    ジュヌビエーブ・ヘッカーが全米女子アマチュアを制した。1896年からの大会はマッチプレー。全米女子オープンが始まる1946年より前から、女性たちが競う全国選手権は続いていた。

  7. 年間

    ハードは新しいボールを試して勝つ

    サンディー・ハードはハスケル・ボールを使い、全英で1打差の優勝。発明の年と、主要大会の勝利に結びついた年を並べると、道具が広まるまでの時間も見えてくる。

  8. 道具

    道具のアイコンは、マグレガーの木製ドライバー

    マグレガーの木製ドライバー。館蔵目録が1900〜1919年の範囲に置く、マグレガーの木製ドライバー。添付札の年代表示は1900年。実物写真を時代のアイコンとして使い、単年の発売モデルや王者の使用品とは断定しない。この年の選手全員が同じモデルを使った、という意味ではない。

日本のゴルフ

この年の競技結果や、倶楽部での取り組みを読む。

  1. 年間

    開場へ向け、六甲のコースづくりが進む

    最初の4ホールができた1901年と、9ホールで開場する1903年の間に当たる。倶楽部史は追加の5ホールの整備と管理・運営の負担増を記している。この年の全国選手権や賞金順位を推測で置かず、開場までの経過として読む。

この年を、もう少し深く

STORIES OF 1902

ジョン・ボールと回り、新しい球を試す。

サンディー・ハードは地元のアマチュア、ジョン・ボールとの練習でハスケル・ボールを試した。ゴムの芯にゴム糸を巻いた球を、全英でも使用。ガッタパーチャの球が主流だった大会に、新しい構造が勝者とともに登場した。

73打で先頭へ。最後は81打で待つ。

77・76と回ったハードは、3ラウンド目の73打で先頭へ出た。最後は81打と苦しみ、合計307打で後続を待つ。追うハリー・バードンとジェームズ・ブレイドには、最終グリーンで並ぶチャンスが残っていた。

二人とも、あと1打が届かない。

バードンの最後のパットはカップの縁で止まった。ブレイドも同点にするパットを逃し、ともに308打。ハードは1892年、1895年の2位を経て、初めてクラレット・ジャグを手にした。