ゴルフ史

1910年

消えた76打、もう一度76打。ブレイドが全英5勝目。

A.マクラーレンのドライバーを道具のアイコンに、当時の選手権の勝者と、ゴルフが広がる歩みを振り返る。雷雨で取り消されたラウンドも、最後まで回った。セントアンドリュースで、ブレイドが最初の5勝達成者となった。

この時代のドライバー

A.マクラーレンのドライバー。1908〜10年頃と記録されたA.マクラーレンのドライバー。ホノルルの刻印がある館蔵品の実物写真。この年の新発売や日本での販売を示すものではない。

A.マクラーレンのドライバー。1908〜10年頃と記録されたA.マクラーレンのドライバー。ホノルルの刻印がある館蔵品の実物写真。この年の新発売や日本での販売を示すものではない。

選手権を制した主役たち

SEASON LEADERS

確認できる主要選手権の優勝者を掲載。記録のない年間賞金順位や、創設前の大会の勝者は補わない。

  • 英国男子 · オープン選手権

    1910年

    ジェームズ・ブレイド

    全英オープン優勝

    この年の選手権優勝者。年間賞金王の記録ではない。

  • 米男子 · オープン選手権

    1910年

    アレックス・スミス

    全米オープン優勝

    この年の選手権優勝者。年間賞金王の記録ではない。

  • 米女子 · アマチュア選手権

    1910年

    ドロシー・キャンベル

    全米女子アマチュア優勝

    この年の選手権優勝者。年間賞金王の記録ではない。

  • 日本男子 · アマチュア選手権

    1910年

    J・L・クロカット

    日本アマチュア優勝

    この年の選手権優勝者。年間賞金王の記録ではない。

この時代は年間賞金王の欄を無理に揃えず、主要選手権の勝者で振り返る。全英アマは1885年、全英女子アマは1893年、全米の3選手権は1895年から。オープンとアマチュア選手権を一つのプロメジャー数へ合算しない。全英は1892年、全米オープンは1898年に36ホールから72ホールへ変わる。

当時の主要選手権を見渡す

MAJOR CHAMPIONS

1910年に起きたこと

WORLD & JAPAN

世界のゴルフ

英国と米国の選手権、女性の競技、道具と大会の変化。

  1. 年間

    全英オープンはジェームズ・ブレイド

    ジェームズ・ブレイドが全英を制した。本戦72ホールの合計は299打。舞台はセントアンドリュース。リンクスの風や地形を相手に、その年の王者が生まれた。

  2. 年間

    全英アマチュアはジョン・ボール

    ジョン・ボールがRoyal Liverpoolで全英アマチュアを制した。決勝結果は10&9。ホールごとの勝敗を争うマッチプレーだった。オープンの合計打数とは別に、アマチュアの王者をたどる。

  3. 年間

    全米オープンはアレックス・スミス

    アレックス・スミスが本戦72ホールを298打で回り優勝。同点で並んだ後、プレーオフを制した。英国とは別に、米国のコースでもオープン選手権の歴史が積み重なっていく。

  4. 年間

    全米アマチュアの頂点はウィリアム・C・ファウンズ・ジュニア

    ウィリアム・C・ファウンズ・ジュニアが全米アマチュアを制した。プロとアマが同じフィールドで戦う全米オープンとは別の選手権。アマチュアのタイトルも、この時代の主役を知る重要な記録だ。

  5. 年間

    全英女子アマチュアはE・グラント・サティ

    E・グラント・サティがWestward Ho!で優勝。決勝結果は6&4。1893年に始まった女性たちの主要選手権で、後年の女子プロの賞金順位やメジャーとは分けて振り返る。

  6. 年間

    全米女子アマチュアはドロシー・キャンベル

    ドロシー・キャンベルが全米女子アマチュアを制した。1896年からの大会はマッチプレー。全米女子オープンが始まる1946年より前から、女性たちが競う全国選手権は続いていた。

  7. 年間

    ブレイドが先に全英5勝へ

    ジェームズ・ブレイドは5度目の全英優勝。1901年の初勝利から10大会で5度の勝利を重ねた。現在の年間ランキングだけでは捉えられない、長い支配力の記録でもある。

  8. 道具

    道具のアイコンは、A.マクラーレンのドライバー

    A.マクラーレンのドライバー。1908〜10年頃と記録されたA.マクラーレンのドライバー。ホノルルの刻印がある館蔵品の実物写真。この年の新発売や日本での販売を示すものではない。この年の選手全員が同じモデルを使った、という意味ではない。

日本のゴルフ

この年の競技結果や、倶楽部での取り組みを読む。

  1. 年間

    日本アマチュアはJ・L・クロカット

    NRCGA根岸コースでJ・L・クロカットが日本アマチュアを制した。記録は合計153打。前年に続く優勝で、1909年の178打、1910年の153打がそれぞれ歴代表に残る。

  2. 年間

    水野兄弟商会から、美津濃商店へ

    店舗を大阪の梅田新道へ移し、「美津濃商店」と改名した。現在のミズノへ続く名前が形になる。ゴルフクラブづくりの計画が始まる1921年より前の、企業の成長過程である。

この年を、もう少し深く

STORIES OF 1910

13番で中止を聞いても、最後まで回る。

激しい雷雨でコースが水につかり、最初のラウンドは取り消された。ブレイドは13番で知らせを受けたが、誤報かもしれないと考えて最後までプレー。76打で上がったものの、その数字は成績に残らなかった。

やり直した初日も76打。最後に逆転する。

正式な最初のラウンドも76打。その後は73・74と続け、首位ジョージ・ダンカンに2打差で最後へ。ダンカンが83打と苦しむ一方、ブレイドは76打で合計299打とした。

初めての5勝。1901年からの10大会で半分を勝つ。

サンディー・ハードが4打差の2位。ブレイドは1901年の初優勝から、10回の全英で5勝を挙げた。セントアンドリュースとミュアフィールドでは、それぞれ2度の優勝を重ねた。