ゴルフ史

1888年

172打が171打に。足し算で決まった全英。

G.フォレスターのドライバーを道具のアイコンに、当時の選手権の勝者と、ゴルフが広がる歩みを振り返る。3人のプレーオフになるはずだった。スコアカードを見直すと、ジャック・バーンズの合計に1打の誤りが見つかった。

この時代のドライバー

G.フォレスターのドライバー。1885年と記録されたG.フォレスターのドライバー。木製ヘッドと首の接合、ホーンの補強が見える館蔵の実物写真。この年の新発売や使用率首位を示すものではない。

G.フォレスターのドライバー。1885年と記録されたG.フォレスターのドライバー。木製ヘッドと首の接合、ホーンの補強が見える館蔵の実物写真。この年の新発売や使用率首位を示すものではない。

選手権を制した主役たち

SEASON LEADERS

確認できる主要選手権の優勝者を掲載。記録のない年間賞金順位や、創設前の大会の勝者は補わない。

  • 英国男子 · オープン選手権

    1888年

    ジャック・バーンズ

    全英オープン優勝

    この年の選手権優勝者。年間賞金王の記録ではない。

  • 英国男子 · アマチュア選手権

    1888年

    ジョン・ボール

    全英アマチュア優勝

    この年の選手権優勝者。年間賞金王の記録ではない。

この時代は年間賞金王の欄を無理に揃えず、主要選手権の勝者で振り返る。全英アマは1885年、全英女子アマは1893年、全米の3選手権は1895年から。オープンとアマチュア選手権を一つのプロメジャー数へ合算しない。全英は1892年、全米オープンは1898年に36ホールから72ホールへ変わる。

当時の主要選手権を見渡す

MAJOR CHAMPIONS

1888年に起きたこと

WORLD & JAPAN

世界のゴルフ

英国と米国の選手権、女性の競技、道具と大会の変化。

  1. 年間

    全英オープンはジャック・バーンズ

    ジャック・バーンズが全英を制した。本戦36ホールの合計は171打。舞台はセントアンドリュース。リンクスの風や地形を相手に、その年の王者が生まれた。

  2. 年間

    全英の舞台と、競技の長さ

    セントアンドリュースで争われた全英は、36ホール。現在の72ホールとは競技の長さが違う。同じ大会名でも、開催地と方式の変化を合わせて読むと時代の違いがわかる。

  3. 年間

    全英アマチュアはジョン・ボール

    ジョン・ボールがPrestwickで全英アマチュアを制した。決勝結果は5&4。ホールごとの勝敗を争うマッチプレーだった。オープンの合計打数とは別に、アマチュアの王者をたどる。

  4. 年間

    合計スコアを、もう一度確かめる

    ジャック・バーンズのスコア集計に1打の違いが見つかり、171打の単独優勝が確定した。スコアカードの足し算までが競技の結果を左右した年だった。

  5. 道具

    道具のアイコンは、G.フォレスターのドライバー

    G.フォレスターのドライバー。1885年と記録されたG.フォレスターのドライバー。木製ヘッドと首の接合、ホーンの補強が見える館蔵の実物写真。この年の新発売や使用率首位を示すものではない。この年の選手全員が同じモデルを使った、という意味ではない。

日本のゴルフ

この年の日本の全国選手権や賞金順位は掲載しない。六甲の最初の4ホールは1901年、神戸ゴルフ倶楽部の開場は1903年。日本の競技が育つ節目は、これから訪れる。

    この年を、もう少し深く

    STORIES OF 1888

    3人が172打で並んだ、と思われた。

    セントアンドリュースでジャック・バーンズ、ベン・セイヤーズ、デービー・アンダーソンが172打を申告。2日後に、全英で初めてとなる3人のプレーオフが予定されていた。

    前半9ホールは、47打ではなく46打。

    R&Aの会員がカードを調べると、バーンズの午前の前半9ホールは、足すと46打だった。記入された合計は47打。各ホールの数字は正しく、間違っていたのは足し算だけだった。

    打ち直さずに、1打差の王者へ。

    バーンズの合計は171打に訂正され、延長戦を行わず優勝が決まった。これは当時の大会での出来事。カードに残った一つ一つの数字が、予定されていた勝負の形を変えた。