1905年
83歳のオールド・トムが見送る、ブレイドの2勝目。
マグレガーの木製ドライバーを道具のアイコンに、当時の選手権の勝者と、ゴルフが広がる歩みを振り返る。最初の全英に出ていたオールド・トムは、今度はスタートを見送る側にいた。強風のセントアンドリュースで、ブレイドが勝った。
この時代のドライバー

マグレガーの木製ドライバー。館蔵目録が1900〜1919年の範囲に置く、マグレガーの木製ドライバー。添付札の年代表示は1900年。実物写真を時代のアイコンとして使い、単年の発売モデルや王者の使用品とは断定しない。
選手権を制した主役たち
SEASON LEADERS確認できる主要選手権の優勝者を掲載。記録のない年間賞金順位や、創設前の大会の勝者は補わない。
英国男子 · オープン選手権
1905年
全英オープン優勝
この年の選手権優勝者。年間賞金王の記録ではない。
米男子 · オープン選手権
1905年
全米オープン優勝
この年の選手権優勝者。年間賞金王の記録ではない。
英国女子 · アマチュア選手権
1905年
全英女子アマチュア優勝
この年の選手権優勝者。年間賞金王の記録ではない。
米女子 · アマチュア選手権
1905年
全米女子アマチュア優勝
この年の選手権優勝者。年間賞金王の記録ではない。
この時代は年間賞金王の欄を無理に揃えず、主要選手権の勝者で振り返る。全英アマは1885年、全英女子アマは1893年、全米の3選手権は1895年から。オープンとアマチュア選手権を一つのプロメジャー数へ合算しない。全英は1892年、全米オープンは1898年に36ホールから72ホールへ変わる。
当時の主要選手権を見渡す
MAJOR CHAMPIONS男子の主要選手権
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女子の主要選手権
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1905年に起きたこと
WORLD & JAPAN世界のゴルフ
英国と米国の選手権、女性の競技、道具と大会の変化。
- 年間
全英オープンはジェームズ・ブレイド
ジェームズ・ブレイドが全英を制した。本戦72ホールの合計は318打。舞台はセントアンドリュース。リンクスの風や地形を相手に、その年の王者が生まれた。
- 年間
全英アマチュアはA・ゴードン・バリー
A・ゴードン・バリーがPrestwickで全英アマチュアを制した。決勝結果は3&2。ホールごとの勝敗を争うマッチプレーだった。オープンの合計打数とは別に、アマチュアの王者をたどる。
- 年間
全米オープンはウィリー・アンダーソン
ウィリー・アンダーソンが本戦72ホールを314打で回り優勝。英国とは別に、米国のコースでもオープン選手権の歴史が積み重なっていく。
- 年間
全米アマチュアの頂点はチャンドラー・イーガン
チャンドラー・イーガンが全米アマチュアを制した。プロとアマが同じフィールドで戦う全米オープンとは別の選手権。アマチュアのタイトルも、この時代の主役を知る重要な記録だ。
- 年間
全英女子アマチュアはB・トンプソン
B・トンプソンがCromerで優勝。決勝結果は3&2。1893年に始まった女性たちの主要選手権で、後年の女子プロの賞金順位やメジャーとは分けて振り返る。
- 年間
全米女子アマチュアはポーリーン・マッケイ
ポーリーン・マッケイが全米女子アマチュアを制した。1896年からの大会はマッチプレー。全米女子オープンが始まる1946年より前から、女性たちが競う全国選手権は続いていた。
- 年間
83歳の名手が、選手を送り出す
オールド・トム・モリスは全英の公式スターターを務めた。競う選手を送り出す役に回っても、大会との関わりは続く。選手の優勝だけでは見えない伝統の一場面だ。
- 道具
道具のアイコンは、マグレガーの木製ドライバー
マグレガーの木製ドライバー。館蔵目録が1900〜1919年の範囲に置く、マグレガーの木製ドライバー。添付札の年代表示は1900年。実物写真を時代のアイコンとして使い、単年の発売モデルや王者の使用品とは断定しない。この年の選手全員が同じモデルを使った、という意味ではない。
日本のゴルフ
この年の競技結果や、倶楽部での取り組みを読む。
- 年間
女性の競技も神戸で行われる
神戸では婦人競技とフォーサムが行われた。女性がプレーする機会はあった一方、当時は婦人会員を認めず、家族のプレー時間にも制限があった。後の女子プロツアーとは別の、参加機会の歴史として記録する。
- 年間
キャディ競技を横田留吉が制す
10月のキャディ競技は10ホールのメダルプレーで、横田留吉が50打で優勝した。客のプレーを支える少年たちにも競技の機会が生まれる。倶楽部史の人物を、同姓同名や別の留吉と混同しない。
この年を、もう少し深く
STORIES OF 1905オールド・トムは、公式スターターに。
83歳のオールド・トム・モリスが公式スターターを務めた。コース管理の仕事は退いていたが、大会の現場には立っていた。1860年の第1回に出た人が、45年後の選手たちを送り出した。
81、78、78、81。風の中で5打差。
ジェームズ・ブレイドは81・78・78・81の318打で、ローランド・ジョーンズとJ・H・テーラーに5打差をつけた。強風の第1ラウンドは80打を切る選手がいない難しさ。ブレイドは1901年以来の全英2勝目を挙げた。
線路に入っても、この時代はOBではない。
ブレイドは15番、16番で線路へ球を入れ、いずれも6打を要した。当時その線路はOB扱いではなかったと、大会公式の回顧は記す。