ゴルフ史

1906年

77、76、74、73。ブレイドが全英を連覇。

マグレガーの木製ドライバーを道具のアイコンに、当時の選手権の勝者と、ゴルフが広がる歩みを振り返る。待ち時間には別のコースでゴルフをした王者。大阪では、後にゴルフ用品も手がける水野兄弟商会が生まれた。

この時代のドライバー

マグレガーの木製ドライバー。館蔵目録が1900〜1919年の範囲に置く、マグレガーの木製ドライバー。添付札の年代表示は1900年。実物写真を時代のアイコンとして使い、単年の発売モデルや王者の使用品とは断定しない。

マグレガーの木製ドライバー。館蔵目録が1900〜1919年の範囲に置く、マグレガーの木製ドライバー。添付札の年代表示は1900年。実物写真を時代のアイコンとして使い、単年の発売モデルや王者の使用品とは断定しない。

選手権を制した主役たち

SEASON LEADERS

確認できる主要選手権の優勝者を掲載。記録のない年間賞金順位や、創設前の大会の勝者は補わない。

  • 英国男子 · オープン選手権

    1906年

    ジェームズ・ブレイド

    全英オープン優勝

    この年の選手権優勝者。年間賞金王の記録ではない。

  • 米男子 · オープン選手権

    1906年

    アレックス・スミス

    全米オープン優勝

    この年の選手権優勝者。年間賞金王の記録ではない。

  • 英国女子 · アマチュア選手権

    1906年

    A・M・ケニオン

    全英女子アマチュア優勝

    この年の選手権優勝者。年間賞金王の記録ではない。

  • 米女子 · アマチュア選手権

    1906年

    ハリオット・S・カーティス

    全米女子アマチュア優勝

    この年の選手権優勝者。年間賞金王の記録ではない。

この時代は年間賞金王の欄を無理に揃えず、主要選手権の勝者で振り返る。全英アマは1885年、全英女子アマは1893年、全米の3選手権は1895年から。オープンとアマチュア選手権を一つのプロメジャー数へ合算しない。全英は1892年、全米オープンは1898年に36ホールから72ホールへ変わる。

当時の主要選手権を見渡す

MAJOR CHAMPIONS

1906年に起きたこと

WORLD & JAPAN

世界のゴルフ

英国と米国の選手権、女性の競技、道具と大会の変化。

  1. 年間

    全英オープンはジェームズ・ブレイド

    ジェームズ・ブレイドが全英を制した。本戦72ホールの合計は300打。舞台はミュアフィールド。リンクスの風や地形を相手に、その年の王者が生まれた。

  2. 年間

    全英アマチュアはジェームズ・ロブ

    ジェームズ・ロブがRoyal Liverpoolで全英アマチュアを制した。決勝結果は4&3。ホールごとの勝敗を争うマッチプレーだった。オープンの合計打数とは別に、アマチュアの王者をたどる。

  3. 年間

    全米オープンはアレックス・スミス

    アレックス・スミスが本戦72ホールを295打で回り優勝。英国とは別に、米国のコースでもオープン選手権の歴史が積み重なっていく。

  4. 年間

    全米アマチュアの頂点はエベン・M・バイヤーズ

    エベン・M・バイヤーズが全米アマチュアを制した。プロとアマが同じフィールドで戦う全米オープンとは別の選手権。アマチュアのタイトルも、この時代の主役を知る重要な記録だ。

  5. 年間

    全英女子アマチュアはA・M・ケニオン

    A・M・ケニオンがBurnhamで優勝。決勝結果は4&3。1893年に始まった女性たちの主要選手権で、後年の女子プロの賞金順位やメジャーとは分けて振り返る。

  6. 年間

    全米女子アマチュアはハリオット・S・カーティス

    ハリオット・S・カーティスが全米女子アマチュアを制した。1896年からの大会はマッチプレー。全米女子オープンが始まる1946年より前から、女性たちが競う全国選手権は続いていた。

  7. 年間

    183人の全英、予選方式の変化へ

    ミュアフィールドの全英には183人が出場した。翌1907年には全員を対象にした予選が行われるようになる。大会の成長は、誰を本戦へ迎えるかという仕組みも変えていった。

  8. 道具

    道具のアイコンは、マグレガーの木製ドライバー

    マグレガーの木製ドライバー。館蔵目録が1900〜1919年の範囲に置く、マグレガーの木製ドライバー。添付札の年代表示は1900年。実物写真を時代のアイコンとして使い、単年の発売モデルや王者の使用品とは断定しない。この年の選手全員が同じモデルを使った、という意味ではない。

日本のゴルフ

この年の競技結果や、倶楽部での取り組みを読む。

  1. 年間

    根岸にもゴルフの組織ができる

    横浜の根岸にNRCGAが設立された。翌年から神戸とのインターポートマッチが始まり、日本アマチュアも二つのコースで交互に行われるようになる。

  2. 年間

    六甲で初のホールインワン

    神戸の倶楽部史は、3番でE・F・ドルフィンガーが初のホールインワンを記録したと伝える。同年にはパッティング競技も始まり、日常のプレーに複数の楽しみ方が育っていた。

  3. 年間

    大阪で、水野兄弟商会が創業

    水野利八と水野利三が、水野兄弟商会を始めた。当初は洋品雑貨や野球ボールを扱い、この年から国産ゴルフクラブを発売したわけではない。後のミズノへつながるブランドの原点である。

この年を、もう少し深く

STORIES OF 1906

183人の大会。待つ間にもゴルフを。

大きな出場者数のため、ブレイドは最初の2日間、遅い時間のスタートになった。大会公式の回顧によれば、2日目の待ち時間には近くのコースで友人とのフォアサムを組み、時間を過ごしたという。

毎ラウンド縮め、三巨頭の先頭に。

77・76・74・73と打数を減らし、合計300打で優勝。J・H・テーラーに4打差、ハリー・バードンに5打差をつけた。三人が上位を占め、ブレイド自身は3勝目。前年に続く連覇となった。

大阪で、水野兄弟商会が始まる。

水野利八と弟の利三が、大阪北区で水野兄弟商会を創業した。最初は洋品雑貨や野球ボールなどを販売。ミズノの公式史では、ゴルフクラブ「スターライン」の発売は1933年。創業から、ゴルフ用品へ続く道の出発点だった。