国・地域未確認 · 男子・一般
ジェームズ・ブレイド
James Braid
日本語名は仮表記です。英語名を併記しています。
人物と歩み
ファイフの農家に育ち、大きな飛距離を武器にしたスコットランドのプロ。パターの工夫によって弱点を補い、全英5勝の三巨頭になった。
1901年の初優勝から1905年、1906年、1908年、1910年にも全英を制した。1894年の初出場から1912年まで、毎回トップ10に入る安定感も持っていた。
ウォルトンヒースで長くクラブプロを務め、グレンイーグルスのキングス、クイーンズなどを設計。選手権で勝つ力と、競技する場所を造る力を併せ持った。
生涯成績
The Open記載のプロ通算19勝、PGA TOUR認定通算5勝。男子メジャー5勝。1901〜1910年に1種類のメジャーで優勝。
- プロ通算(The Open記載)
- 19勝
- PGA TOUR認定通算
- 5勝
- 男子メジャー通算
- 5勝
- メジャー優勝大会の種類
- 1大会
公式資料の確認日:
ツアー通算勝利には、そのツアーが認定するメジャー優勝を含みます。メジャー勝利を足し合わせた総勝利数ではありません。一般・シニア・アマチュアの実績は区別しています。 歴史上の選手は、遡及認定を含むツアー通算と公式プロフィール掲載のプロ通算を分けて表示します。
メジャー優勝の内訳
- 全英オープン · 5勝
- 1901年、1905年、1906年、1908年、1910年
PGA TOUR認定通算は2026年公式メディアガイドの歴代一覧に基づきます。ツアー創設前やアマチュア時代の認定勝利を含むため、当時の所属ツアーやプロとしての勝利数を示すものではありません。メジャー通算とは重複するため合算しません。 プロ通算はThe Openの掲載値です。対象大会の明細は示されていないため、PGA TOUR認定通算・メジャー通算へ加算しません。
メジャーでのキャリア
1901年の全英オープンで最初のメジャー優勝。その後も勝利を重ね、1910年の全英オープンまでに通算5勝を挙げた。
大会ごとの実績
最多優勝の大会は全英オープンで5勝(1901・1905・1906・1908・1910年)。優勝したメジャーは1種類。
公式記録に残る通算勝利
PGA TOURの公式歴代勝利一覧では通算5勝と認定されている。歴史上の大会を遡って認定した記録を含み、世界各地の全大会を合計した生涯総勝利数ではない。
全英公式が紹介するプロキャリア
The Openの公式プロフィールはプロ通算19勝と紹介している。PGA TOUR認定5勝とは集計範囲が異なる。
キャリア年表
ゴルフ史でたどるキャリア
結果を待ちながらビリヤード。地元のヒルトンが勝つ。
全英が初めてロイヤル・リバプールで開かれた。クラブの選手ハロルド・ヒルトンは、3ラウンドを終えてジェームズ・ブレイドに3打差。最後を75打で回り、合計314打を先に出した。
後から回ったブレイドは、最終ホールを3打で上がれば同点。よいアプローチを打ったが球はカップを通り過ぎ、戻すパットも入らなかった。315打となり、ヒルトンが1打差で勝った。
1897年のゴルフ史を読む →テーラーの8打差と、パリ五輪のゴルフ。
J・H・テーラーは、セントアンドリュースの全英を4ラウンドすべて70台で回った。合計309打。ハリー・バードンに8打差、3位ジェームズ・ブレイドには13打差をつけた。後に「三巨頭」と呼ばれる三人が、初めて全英の上位三つを占めた。
1900年のゴルフ史を読む →最後の一打でシャフトが折れた。ブレイドの初優勝。
ブレイドは最初のティーショットを壁の向こうへ打ってOBにした。大会公式の回顧では、最終ホールの約200ヤードのアプローチでシャフトが裂け、ヘッドが飛んだという。球はグリーンへ届き、4打で上がった。
グリーンで転がすクラブ、パターにも変化があった。全英公式の別の回顧は、ブレイドが1900年に木製ヘッドからアルミニウム製ヘッドへ替えたことを伝える。翌年の初優勝から、1910年までに全英を5度制する。
1901年のゴルフ史を読む →糸巻きボールで、1打差。ハードが全英を制す。
77・76と回ったハードは、3ラウンド目の73打で先頭へ出た。最後は81打と苦しみ、合計307打で後続を待つ。追うハリー・バードンとジェームズ・ブレイドには、最終グリーンで並ぶチャンスが残っていた。
バードンの最後のパットはカップの縁で止まった。ブレイドも同点にするパットを逃し、ともに308打。ハードは1892年、1895年の2位を経て、初めてクラレット・ジャグを手にした。
1902年のゴルフ史を読む →80、75、72、69。毎回縮めて、ホワイトが勝つ。
ジェームズ・ブレイドは3ラウンド目に69打を出し、全英の18ホールのラウンドで、初めて70打を切った。最後はJ・H・テーラーがさらに68打。それでも二人の合計は297打となり、ホワイトが1打差で勝った。
1904年のゴルフ史を読む →83歳のオールド・トムが見送る、ブレイドの2勝目。
ジェームズ・ブレイドは81・78・78・81の318打で、ローランド・ジョーンズとJ・H・テーラーに5打差をつけた。強風の第1ラウンドは80打を切る選手がいない難しさ。ブレイドは1901年以来の全英2勝目を挙げた。
ブレイドは15番、16番で線路へ球を入れ、いずれも6打を要した。当時その線路はOB扱いではなかったと、大会公式の回顧は記す。
1905年のゴルフ史を読む →77、76、74、73。ブレイドが全英を連覇。
大きな出場者数のため、ブレイドは最初の2日間、遅い時間のスタートになった。大会公式の回顧によれば、2日目の待ち時間には近くのコースで友人とのフォアサムを組み、時間を過ごしたという。
77・76・74・73と打数を減らし、合計300打で優勝。J・H・テーラーに4打差、ハリー・バードンに5打差をつけた。三人が上位を占め、ブレイド自身は3勝目。前年に続く連覇となった。
1906年のゴルフ史を読む →一つのホールで8打。それでもブレイドが8打差。
ジェームズ・ブレイドは70・72で5打のリードを作った。ところが3ラウンド目、3番でバンカーやOBに苦しみ8打。4番では3パットした。それでも77打にまとめ、リードは6打に広がった。
1908年のゴルフ史を読む →9年ぶりのテーラー。ディールで全英4勝目。
トム・ボールと前年王者ジェームズ・ブレイドが301打で2位。テーラーは6打差で勝ち、ブレイド、ハリー・バードンと並ぶ全英4勝目を挙げた。三巨頭の競り合いは、翌年からさらに5勝へ進む。
1909年のゴルフ史を読む →消えた76打、もう一度76打。ブレイドが全英5勝目。
激しい雷雨でコースが水につかり、最初のラウンドは取り消された。ブレイドは13番で知らせを受けたが、誤報かもしれないと考えて最後までプレー。76打で上がったものの、その数字は成績に残らなかった。
正式な最初のラウンドも76打。その後は73・74と続け、首位ジョージ・ダンカンに2打差で最後へ。ダンカンが83打と苦しむ一方、ブレイドは76打で合計299打とした。
サンディー・ハードが4打差の2位。ブレイドは1901年の初優勝から、10回の全英で5勝を挙げた。セントアンドリュースとミュアフィールドでは、それぞれ2度の優勝を重ねた。
1910年のゴルフ史を読む →303打で並んだ二人。バードンの5勝目は延長戦で。
バードンの優勝は1903年以来。前年のジェームズ・ブレイドに続き、全英5勝へ到達した。延長戦を制した王者は、3年後のプレストウィックで、さらに一つ多い6勝へ進む。
1911年のゴルフ史を読む →飛ばすレイ、最初から単独首位で全英を勝つ。
3ラウンド目は76打、最後は75打で合計295打。バードンが4打差、ジェームズ・ブレイドが8打差で続いた。それまで4大会続けて三巨頭が勝っていた全英で、レイが初優勝を挙げた。
1912年のゴルフ史を読む →20歳のウィメットが全米を勝つ。東京では倶楽部が生まれる。
J・H・テーラーは73・75・77・79の304打で、前年王者テッド・レイに8打差をつけた。1894年の初優勝から19年。ブレイド、バードンに続いて全英5勝へ到達した。
1913年のゴルフ史を読む →
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ウェールズのテンビーGCで、9番付近のウサギ穴から人の手に見える骨が見つかり、警察が調べた。 2024年7月の出来事。写真だけでは判別できず、現場調査の末に動物の骨と分かった。 人骨ではなかったが、何の動物かは不明。長い歴史を持つリンクスに、奇妙な一日の記録が残った。
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