ゴルフ史

1898年

バードンの1打差。ボールの中身も変わり始める。

R.フォーガンのドライバーを道具のアイコンに、当時の選手権の勝者と、ゴルフが広がる歩みを振り返る。最後の短いパットが勝敗を分けた全英。米国では、ゴムの芯に糸を巻くハスケル・ボールが生まれた。

この時代のドライバー

R.フォーガンのドライバー。1895年頃と記録されたR.フォーガンのドライバー。木製シャフト時代の実物を写真で振り返る。1890年の館蔵品とは別個体で、この年の新作とは限らない。

R.フォーガンのドライバー。1895年頃と記録されたR.フォーガンのドライバー。木製シャフト時代の実物を写真で振り返る。1890年の館蔵品とは別個体で、この年の新作とは限らない。

選手権を制した主役たち

SEASON LEADERS

確認できる主要選手権の優勝者を掲載。記録のない年間賞金順位や、創設前の大会の勝者は補わない。

  • 英国男子 · オープン選手権

    1898年

    ハリー・バードン

    全英オープン優勝

    この年の選手権優勝者。年間賞金王の記録ではない。

  • 米男子 · オープン選手権

    1898年

    フレッド・ハード

    全米オープン優勝

    この年の選手権優勝者。年間賞金王の記録ではない。

  • 英国女子 · アマチュア選手権

    1898年

    L・トムソン

    全英女子アマチュア優勝

    この年の選手権優勝者。年間賞金王の記録ではない。

  • 米女子 · アマチュア選手権

    1898年

    ビアトリクス・ホイト

    全米女子アマチュア優勝

    この年の選手権優勝者。年間賞金王の記録ではない。

この時代は年間賞金王の欄を無理に揃えず、主要選手権の勝者で振り返る。全英アマは1885年、全英女子アマは1893年、全米の3選手権は1895年から。オープンとアマチュア選手権を一つのプロメジャー数へ合算しない。全英は1892年、全米オープンは1898年に36ホールから72ホールへ変わる。

当時の主要選手権を見渡す

MAJOR CHAMPIONS

1898年に起きたこと

WORLD & JAPAN

世界のゴルフ

英国と米国の選手権、女性の競技、道具と大会の変化。

  1. 年間

    全英オープンはハリー・バードン

    ハリー・バードンが全英を制した。本戦72ホールの合計は307打。舞台はプレストウィック。リンクスの風や地形を相手に、その年の王者が生まれた。

  2. 年間

    全英アマチュアはフレディ・テイト

    フレディ・テイトがRoyal Liverpoolで全英アマチュアを制した。決勝結果は7&5。ホールごとの勝敗を争うマッチプレーだった。オープンの合計打数とは別に、アマチュアの王者をたどる。

  3. 年間

    全米オープンはフレッド・ハード

    フレッド・ハードが本戦72ホールを328打で回り優勝。英国とは別に、米国のコースでもオープン選手権の歴史が積み重なっていく。

  4. 年間

    全米アマチュアの頂点はフィンドレー・S・ダグラス

    フィンドレー・S・ダグラスが全米アマチュアを制した。プロとアマが同じフィールドで戦う全米オープンとは別の選手権。アマチュアのタイトルも、この時代の主役を知る重要な記録だ。

  5. 年間

    全英女子アマチュアはL・トムソン

    L・トムソンがGreat Yarmouthで優勝。決勝結果は6&5。1893年に始まった女性たちの主要選手権で、後年の女子プロの賞金順位やメジャーとは分けて振り返る。

  6. 年間

    全米女子アマチュアはビアトリクス・ホイト

    ビアトリクス・ホイトが全米女子アマチュアを制した。1896年からの大会はマッチプレー。全米女子オープンが始まる1946年より前から、女性たちが競う全国選手権は続いていた。

  7. 年間

    ゴム芯と糸巻きがボールを変える

    ハスケルのゴム芯とゴム糸を使ったボールが登場した時代。すぐに全員が切り替えたという意味ではないが、のちに飛距離とコースづくりにも変化をもたらしていく。

  8. 道具

    道具のアイコンは、R.フォーガンのドライバー

    R.フォーガンのドライバー。1895年頃と記録されたR.フォーガンのドライバー。木製シャフト時代の実物を写真で振り返る。1890年の館蔵品とは別個体で、この年の新作とは限らない。この年の選手全員が同じモデルを使った、という意味ではない。

日本のゴルフ

この年の日本の全国選手権や賞金順位は掲載しない。六甲の最初の4ホールは1901年、神戸ゴルフ倶楽部の開場は1903年。日本の競技が育つ節目は、これから訪れる。

    この年を、もう少し深く

    STORIES OF 1898

    最後の約4フィートが、入らなかった。

    ウィリー・パーク・ジュニアは、最終ラウンドを前にハリー・バードンへ2打のリード。バードンが307打で上がると、パークは最後に同点へ追いつく約4フィートのパットを残した。球は入らず、バードンが1打差で2勝目を挙げた。

    36ホールで、残る選手を絞る。

    この大会から、最初の36ホール後に上位の選手へ出場者を絞る「カット」が導入された。1893年の王者ウィリー・オークタロニーも、後半の2ラウンドへ進めなかった。

    ゴム芯、張ったゴム糸、外側のカバー。

    コバーン・ハスケルはBFグッドリッチと、ゴム芯に張力をかけたゴム糸を巻き、ガッタパーチャで覆うボールを作った。USGAとR&Aの距離調査は、この球の登場を1898年とし、後に普及して飛距離が伸び、コース延長の要因となったことを記す。