ゴルフ史

1900年

テーラーの8打差と、パリ五輪のゴルフ。

マグレガーの木製ドライバーを道具のアイコンに、当時の選手権の勝者と、ゴルフが広がる歩みを振り返る。全英ではテーラー、バードン、ブレイドが上位に並んだ。フランスでは男子と女子のゴルフが、五輪の歴史に初めて登場する。

この時代のドライバー

マグレガーの木製ドライバー。館蔵目録が1900〜1919年の範囲に置く、マグレガーの木製ドライバー。添付札の年代表示は1900年。実物写真を時代のアイコンとして使い、単年の発売モデルや王者の使用品とは断定しない。

マグレガーの木製ドライバー。館蔵目録が1900〜1919年の範囲に置く、マグレガーの木製ドライバー。添付札の年代表示は1900年。実物写真を時代のアイコンとして使い、単年の発売モデルや王者の使用品とは断定しない。

木製クラブを手入れする職人と、リンクスに面した工房のイメージ画
1900 · 時代を映す一枚一本に宿る、職人の手。

木製のヘッドとシャフト。ゴルフが世界へ広がった時代を、クラブづくりの風景からたどる。

AI生成イメージ画。実景・史料の正確な復元や、実在製品の写真ではありません。

選手権を制した主役たち

SEASON LEADERS

確認できる主要選手権の優勝者を掲載。記録のない年間賞金順位や、創設前の大会の勝者は補わない。

  • 英国男子 · オープン選手権

    1900年

    J・H・テーラー

    全英オープン優勝

    この年の選手権優勝者。年間賞金王の記録ではない。

  • 米男子 · オープン選手権

    1900年

    ハリー・バードン

    全米オープン優勝

    この年の選手権優勝者。年間賞金王の記録ではない。

  • 英国女子 · アマチュア選手権

    1900年

    R・アデア

    全英女子アマチュア優勝

    この年の選手権優勝者。年間賞金王の記録ではない。

  • 米女子 · アマチュア選手権

    1900年

    フランシス・C・グリスコム

    全米女子アマチュア優勝

    この年の選手権優勝者。年間賞金王の記録ではない。

この時代は年間賞金王の欄を無理に揃えず、主要選手権の勝者で振り返る。全英アマは1885年、全英女子アマは1893年、全米の3選手権は1895年から。オープンとアマチュア選手権を一つのプロメジャー数へ合算しない。全英は1892年、全米オープンは1898年に36ホールから72ホールへ変わる。

当時の主要選手権を見渡す

MAJOR CHAMPIONS

1900年に起きたこと

WORLD & JAPAN

世界のゴルフ

英国と米国の選手権、女性の競技、道具と大会の変化。

  1. 年間

    全英オープンはJ・H・テーラー

    J・H・テーラーが全英を制した。本戦72ホールの合計は309打。舞台はセントアンドリュース。リンクスの風や地形を相手に、その年の王者が生まれた。

  2. 年間

    全英アマチュアはハロルド・ヒルトン

    ハロルド・ヒルトンがSt George’sで全英アマチュアを制した。決勝結果は9&7。ホールごとの勝敗を争うマッチプレーだった。オープンの合計打数とは別に、アマチュアの王者をたどる。

  3. 年間

    全米オープンはハリー・バードン

    ハリー・バードンが本戦72ホールを313打で回り優勝。英国とは別に、米国のコースでもオープン選手権の歴史が積み重なっていく。

  4. 年間

    全米アマチュアの頂点はウォルター・トラビス

    ウォルター・トラビスが全米アマチュアを制した。プロとアマが同じフィールドで戦う全米オープンとは別の選手権。アマチュアのタイトルも、この時代の主役を知る重要な記録だ。

  5. 年間

    全英女子アマチュアはR・アデア

    R・アデアがWestward Ho!で優勝。決勝結果は6&5。1893年に始まった女性たちの主要選手権で、後年の女子プロの賞金順位やメジャーとは分けて振り返る。

  6. 年間

    全米女子アマチュアはフランシス・C・グリスコム

    フランシス・C・グリスコムが全米女子アマチュアを制した。1896年からの大会はマッチプレー。全米女子オープンが始まる1946年より前から、女性たちが競う全国選手権は続いていた。

  7. 年間

    パリ五輪では男女のゴルフ競技

    男子はチャールズ・サンズが36ホール167打で優勝。女子はマーガレット・アボットが9ホール47打で勝った。同じ五輪でも男女の競技距離は異なり、全英・全米の選手権とも別の舞台だった。

  8. 道具

    道具のアイコンは、マグレガーの木製ドライバー

    マグレガーの木製ドライバー。館蔵目録が1900〜1919年の範囲に置く、マグレガーの木製ドライバー。添付札の年代表示は1900年。実物写真を時代のアイコンとして使い、単年の発売モデルや王者の使用品とは断定しない。この年の選手全員が同じモデルを使った、という意味ではない。

日本のゴルフ

この年の日本の全国選手権や賞金順位は掲載しない。六甲の最初の4ホールは1901年、神戸ゴルフ倶楽部の開場は1903年。日本の競技が育つ節目は、これから訪れる。

    この年を、もう少し深く

    STORIES OF 1900

    79、77、78、75。四つとも70台。

    J・H・テーラーは、セントアンドリュースの全英を4ラウンドすべて70台で回った。合計309打。ハリー・バードンに8打差、3位ジェームズ・ブレイドには13打差をつけた。後に「三巨頭」と呼ばれる三人が、初めて全英の上位三つを占めた。

    パリ五輪で、男子も女子も米国の選手が勝つ。

    ゴルフは1900年のパリ五輪で初めて行われた。男子はチャールズ・サンズが82打と85打、合計167打で優勝。女子は9ホールの競技で、マーガレット・アボットが47打で勝った。

    母娘で参加した競技。賞品は陶器の器。

    アボットは母とパリに滞在し、二人でコンピエーニュの競技に出た。母は65打で7位タイ。国際ゴルフ連盟の回顧によれば、マーガレットに渡った賞品は金の装飾を施した陶器の器で、本人は五輪で勝ったことを知らないまま生涯を終えたという。