ゴルフ史

1924年

駒沢に7クラブが集まる。日本ゴルフ協会の始まり。

マグレガー・デイトンを時代のアイコンに、世界・日本の選手権、女性たちの競技まで振り返る。東京ゴルフ倶楽部に東西の代表が集まり、Japan Golf Associationを創立。英国ではヘーゲンが、最後のパットで全英2勝目を決めた。

この時代のドライバー

マグレガー・デイトンの1915年頃の型を、この時代のドライバーのアイコンに選んだ。写真はLouisville Golf製の現代の復刻品で、当時の現物ではない。この年の新発売や使用率首位を意味しない。

マグレガー・デイトンの1915年頃の型を、この時代のドライバーのアイコンに選んだ。写真はLouisville Golf製の現代の復刻品で、当時の現物ではない。この年の新発売や使用率首位を意味しない。

この年の主役と、賞金の記録

SEASON LEADERS

米男子は記録がある1934年以降の年間賞金首位、それ以前は全米王者。女子と日本は当時の主要選手権を取り上げる。選手権の優勝を年間賞金王とは数えない。

  • 米男子 · 全国選手権

    1924年

    シリル・ウォーカー

    全米オープン優勝

    採用したPGA歴代年間賞金首位表は1934年から。この欄は賞金王を推測せず、この年の全米王者を掲載する。

  • 米女子 · アマチュア選手権

    1924年

    ドロシー・キャンベル

    全米女子アマチュア優勝

    LPGA創設は1950年。この年は女子の全国選手権優勝者を掲載し、プロの年間賞金女王とは扱わない。

  • 日本男子 · 全国選手権

    1924年

    川崎肇

    日本アマチュア優勝

    日本の現行ツアー制は1973年開始。この欄は選手権の勝者で、年間賞金王ではない。

  • 日本女子 · 競技の背景

    1924年

    女子プロ賞金制度の成立前

    倶楽部から競技が育つ時代

    女子プロ部門の発足は1967年、歴代賞金女王表は1968年から。女性がプレーしていなかったという意味ではなく、後年の賞金ランキングをこの年へ遡らせない。

男子は後に四大メジャーとなる大会のうち、この年までに始まった大会だけを掲載。マスターズは1934年、全米プロは1916年からで、当時の全米プロはマッチプレー。女子は全米女子アマと、1930年以降の女子ウェスタン、1937年以降のタイトルホルダーズを並べる。全米女子アマはプロのメジャーに数えず、後のLPGA認定大会と区別する。

主要選手権の勝者を、一望する

MAJOR CHAMPIONS

1924年に起きたこと

WORLD & JAPAN

世界のゴルフ

全国選手権の勝者、女性たちの競技、道具と時代の変化。

  1. 年間

    全米オープンはシリル・ウォーカー

    シリル・ウォーカーが全米オープンを制した。72ホールの合計は297打。全国選手権の優勝と、シーズンを通した賞金成績は別の記録だ。

  2. 年間

    全英オープンはウォルター・ヘーゲン

    ウォルター・ヘーゲンが全英オープンを制した。72ホールの合計は301打。全国選手権の優勝と、シーズンを通した賞金成績は別の記録だ。

  3. 年間

    全米プロはウォルター・ヘーゲン

    ウォルター・ヘーゲンが全米プロを制した。決勝の結果は2 up。当時は相手とのホールごとの勝敗を積み重ねるマッチプレーで、後年の72ホール合計打数による優勝とは記録の読み方が違う。

  4. 年間

    全米アマチュアにも、もう一人の王者

    ボビー・ジョーンズが全米アマチュアを制した。オープンがプロとアマの双方へ門戸を開くのに対し、こちらはアマチュアの全国選手権。賞金を得るプロの大会だけでは、この時代の頂点を追いきれない。

  5. 年間

    全米女子アマはドロシー・キャンベル

    ドロシー・キャンベルが全米女子アマチュアを制した。LPGA創設前の女性たちの主要な競技舞台を示す結果で、後の女子プロメジャーや年間賞金女王とは区別して掲載する。

  6. 道具

    ヒッコリーの道具を、原型と復刻から知る

    マグレガー・デイトンは1915年頃の原型を持つ木製シャフト時代のドライバー。掲載写真は現代の復刻品で、当時の選手がこの個体を使ったという意味ではない。今の復刻品の素材仕様を、戦前の仕様へそのまま遡らせない。

日本のゴルフ

選手権の結果に、倶楽部や競技団体の歩みを重ねて読む。

  1. 年間

    日本アマチュアは川崎肇

    東京GC駒沢コースで川崎肇が日本アマチュアを制した。合計169打で優勝した。プロの賞金王とは別に、日本のアマチュア競技の主役を記録する。

  2. 年間

    10月17日、7倶楽部でJGAを創立

    神戸・根岸・東京・鳴尾・舞子・程ヶ谷・甲南の代表が駒沢に集まり、JGAを創立した。英文規則の理解や倶楽部運営を整えたいという課題が背景にあった。選手権を開催する側にも共通の仕組みが生まれる。

  3. 年間

    プロの全国大会が始まる前の日本

    日本プロの大会史の始まりは1926年、日本オープンは1927年。この年の日本を現在のツアー賞金表で見る代わりに、日本アマチュアの勝者と会場を並べると、競技が倶楽部から育った時代がわかる。

この年を、もう少し深く

STORIES OF 1924

神戸から甲南まで、7クラブの代表。

神戸、根岸、東京、鳴尾、舞子、程ヶ谷、甲南の代表が、駒沢の東京ゴルフ倶楽部に集まった。1924年10月17日、Japan Golf Association、略称JGAが創立された。

規則も運営も、自分たちの手で。

JGA年史は、大谷光明が以前から組織作りを考えていたと記す。英文の競技規則を十分理解できずに違反となることもあり、日本のゴルフの運営や規則、作法を整えることが動機になった。

ヘーゲンは、最後の約1.8メートルを決める。

全英ではヘーゲンが最終18番で6フィートのパットを沈め、301打で2勝目。アーネスト・ウィットコムの302打を1打上回った。1922年の先にスコアを出して待つ勝ち方から、今回は追いかけて勝った。