ゴルフ史

1914年

バードン、6度目の全英王者に。次の大会は6年後。

1913年のドライバーショットを時代のアイコンに、世界・日本の選手権、女性たちの競技まで振り返る。5勝で並ぶ三人から、最初に一歩抜け出したのはバードンだった。プレストウィックの勝負の後、全英は戦争による休止へ入る。

当時のドライバーショット

1913年のドライバーショット。ハリー・バードンが打った直後を写した当時の記録写真を、この時代のアイコンに選んだ。個別のメーカーやモデルは特定していない。

1913年のドライバーショット。ハリー・バードンが打った直後を写した当時の記録写真を、この時代のアイコンに選んだ。個別のメーカーやモデルは特定していない。

この年の主役と、賞金の記録

SEASON LEADERS

米男子は記録がある1934年以降の年間賞金首位、それ以前は全米王者。女子と日本は当時の主要選手権を取り上げる。選手権の優勝を年間賞金王とは数えない。

  • 米男子 · 全国選手権

    1914年

    ウォルター・ヘーゲン

    全米オープン優勝

    採用したPGA歴代年間賞金首位表は1934年から。この欄は賞金王を推測せず、この年の全米王者を掲載する。

  • 米女子 · アマチュア選手権

    1914年

    キャサリン・ハーレー・ジャクソン

    全米女子アマチュア優勝

    LPGA創設は1950年。この年は女子の全国選手権優勝者を掲載し、プロの年間賞金女王とは扱わない。

  • 日本男子 · 全国選手権

    1914年

    アルフレッド・ラッジ

    日本アマチュア優勝

    日本の現行ツアー制は1973年開始。この欄は選手権の勝者で、年間賞金王ではない。

  • 日本女子 · 競技の背景

    1914年

    女子プロ賞金制度の成立前

    倶楽部から競技が育つ時代

    女子プロ部門の発足は1967年、歴代賞金女王表は1968年から。女性がプレーしていなかったという意味ではなく、後年の賞金ランキングをこの年へ遡らせない。

男子は後に四大メジャーとなる大会のうち、この年までに始まった大会だけを掲載。マスターズは1934年、全米プロは1916年からで、当時の全米プロはマッチプレー。女子は全米女子アマと、1930年以降の女子ウェスタン、1937年以降のタイトルホルダーズを並べる。全米女子アマはプロのメジャーに数えず、後のLPGA認定大会と区別する。

主要選手権の勝者を、一望する

MAJOR CHAMPIONS

1914年に起きたこと

WORLD & JAPAN

世界のゴルフ

全国選手権の勝者、女性たちの競技、道具と時代の変化。

  1. 年間

    全米オープンはウォルター・ヘーゲン

    ウォルター・ヘーゲンが全米オープンを制した。72ホールの合計は290打。全国選手権の優勝と、シーズンを通した賞金成績は別の記録だ。

  2. 年間

    全英オープンはハリー・バードン

    ハリー・バードンが全英オープンを制した。72ホールの合計は306打。全国選手権の優勝と、シーズンを通した賞金成績は別の記録だ。

  3. 年間

    全米アマチュアにも、もう一人の王者

    フランシス・ウィメットが全米アマチュアを制した。オープンがプロとアマの双方へ門戸を開くのに対し、こちらはアマチュアの全国選手権。賞金を得るプロの大会だけでは、この時代の頂点を追いきれない。

  4. 年間

    全米女子アマはキャサリン・ハーレー・ジャクソン

    キャサリン・ハーレー・ジャクソンが全米女子アマチュアを制した。LPGA創設前の女性たちの主要な競技舞台を示す結果で、後の女子プロメジャーや年間賞金女王とは区別して掲載する。

  5. 道具

    モデル名より前に、当時のショットを見る

    1913年刊の写真にはハリー・バードンのドライバーショットが残る。左右2枚の立体写真で、打球後の姿勢やクラブの長さを見比べられる。メーカーや型番は不明のため、後年の市販モデル名を当てはめない。

日本のゴルフ

選手権の結果に、倶楽部や競技団体の歩みを重ねて読む。

  1. 年間

    日本アマチュアはアルフレッド・ラッジ

    NRCGA根岸コースでアルフレッド・ラッジが日本アマチュアを制した。合計152打で優勝した。プロの賞金王とは別に、日本のアマチュア競技の主役を記録する。

  2. 年間

    神戸と根岸から続く選手権の系譜

    日本アマチュアの始まりは1907年の神戸・根岸の対抗戦にある。この年も、倶楽部を舞台にした選手権が日本の競技の柱だった。まだ存在しない日本オープンや全国のプロツアーと取り違えず、残された優勝記録から時代をたどる。

  3. 年間

    プロの全国大会が始まる前の日本

    日本プロの大会史の始まりは1926年、日本オープンは1927年。この年の日本を現在のツアー賞金表で見る代わりに、日本アマチュアの勝者と会場を並べると、競技が倶楽部から育った時代がわかる。

この年を、もう少し深く

STORIES OF 1914

5勝同士の二人が、最後の36ホールを回る。

ハリー・バードンは73・77で先頭。J・H・テーラーは2打差で追い、最後の36ホールを同じ組で争った。3ラウンド目はテーラーが74打、バードンが78打となり、今度はテーラーが2打リードした。

4番の7打で、流れが変わる。

最終ラウンド、テーラーは4番でバンカーから出した後に水へ入れ、7打。バードンは同じホールを4打で上がった。最後は78打、合計306打で、友人でもあるライバルに3打差をつけた。

6勝目の後、全英は五つの年を休む。

バードンは全英で初めて6勝へ到達した。テーラーが初めて勝った1894年から、この年までの21大会で三巨頭の優勝は16回。その後は第一次世界大戦のため、1915〜1919年の大会が行われなかった。