ゴルフ史

1941年

ウッドが二つのメジャーを勝つ。長い空白の前に。

ミズノ トーナメントを時代のアイコンに、米男子の賞金首位と、世界・日本の選手権、女性たちの競技まで振り返る。クレイグ・ウッドが春のマスターズと全米オープンを制した。日本でも戦前最後の日本オープンが開かれ、選手権の継続は戦争で途切れていく。

この時代のドライバー

1936年登場のミズノ トーナメント。メーカーの年表に残る実物写真を、この時代のドライバーのアイコンにした。この年の新発売や、戦時中も生産・販売が継続したことを示すものではない。

1936年登場のミズノ トーナメント。メーカーの年表に残る実物写真を、この時代のドライバーのアイコンにした。この年の新発売や、戦時中も生産・販売が継続したことを示すものではない。

この年の主役と、賞金の記録

SEASON LEADERS

米男子は記録がある1934年以降の年間賞金首位、それ以前は全米王者。女子と日本は当時の主要選手権を取り上げる。選手権の優勝を年間賞金王とは数えない。

  • 米男子 · PGAの賞金記録

    1941年

    ベン・ホーガン

    $18,358.00

    年間賞金首位(歴代記録)

    PGA TOUR公式ガイドの年間賞金首位。1大会の優勝賞金や後年のボーナスとは分けて掲載する。

  • 米女子 · アマチュア選手権

    1941年

    ベティ・ヒックス

    全米女子アマチュア優勝

    LPGA創設は1950年。この年は女子の全国選手権優勝者を掲載し、プロの年間賞金女王とは扱わない。USGA表のElizabeth Hicksは、名鑑のベティ・ヒックスと同一人物。

  • 日本男子 · 全国選手権

    1941年

    延徳春

    日本オープン優勝

    日本の現行ツアー制は1973年開始。この欄は選手権の勝者で、年間賞金王ではない。

  • 日本女子 · 競技の背景

    1941年

    女子プロ賞金制度の成立前

    倶楽部から競技が育つ時代

    女子プロ部門の発足は1967年、歴代賞金女王表は1968年から。女性がプレーしていなかったという意味ではなく、後年の賞金ランキングをこの年へ遡らせない。

男子は後に四大メジャーとなる大会のうち、この年までに始まった大会だけを掲載。マスターズは1934年、全米プロは1916年からで、当時の全米プロはマッチプレー。女子は全米女子アマと、1930年以降の女子ウェスタン、1937年以降のタイトルホルダーズを並べる。全米女子アマはプロのメジャーに数えず、後のLPGA認定大会と区別する。

主要選手権の勝者を、一望する

MAJOR CHAMPIONS

1941年に起きたこと

WORLD & JAPAN

世界のゴルフ

全国選手権の勝者、女性たちの競技、道具と時代の変化。

  1. 年間

    マスターズはクレイグ・ウッド

    クレイグ・ウッドがマスターズを制した。72ホールの合計は280打。全国選手権の優勝と、シーズンを通した賞金成績は別の記録だ。

  2. 年間

    全米オープンはクレイグ・ウッド

    クレイグ・ウッドが全米オープンを制した。72ホールの合計は284打。全国選手権の優勝と、シーズンを通した賞金成績は別の記録だ。

  3. 年間

    全英オープンは戦争で休止

    第二次世界大戦の影響で全英オープンは開かれなかった。創設前の空欄とは異なり、すでにあった大会が開催されなかった年として記録する。

  4. 年間

    全米プロはビック・ゲッツィ

    ビック・ゲッツィが全米プロを制した。決勝の結果は1-up。当時は相手とのホールごとの勝敗を積み重ねるマッチプレーで、後年の72ホール合計打数による優勝とは記録の読み方が違う。

  5. 年間

    全米アマチュアにも、もう一人の王者

    マービン・H・ウォードが全米アマチュアを制した。オープンがプロとアマの双方へ門戸を開くのに対し、こちらはアマチュアの全国選手権。賞金を得るプロの大会だけでは、この時代の頂点を追いきれない。

  6. 年間

    全米女子アマはベティ・ヒックス

    ベティ・ヒックスが全米女子アマチュアを制した。LPGA創設前の女性たちの主要な競技舞台を示す結果で、後の女子プロメジャーや年間賞金女王とは区別して掲載する。

  7. 年間

    女子ウェスタン・オープンはパティ・バーグ

    パティ・バーグが女子ウェスタン・オープンを制した。LPGA発足前に行われ、後にLPGAの歴代メジャー記録へ収められた大会。全米女子アマチュアと同じ大会ではない。

  8. 年間

    タイトルホルダーズ選手権はドロシー・カービー

    ドロシー・カービーがタイトルホルダーズ選手権を制した。優勝時点ではアマチュア。LPGA発足前に行われ、後にLPGAの歴代メジャー記録へ収められた大会。全米女子アマチュアと同じ大会ではない。

  9. 年間

    賞金首位は、メジャー優勝とは別の称号

    ベン・ホーガンが年間賞金首位で、公式ガイドの記録は$18,358.00。メジャーを勝った顔ぶれと並べると、1大会の強さと年間を通じた成績の違いも見えてくる。

  10. 道具

    国産の木製ドライバーが育った時代

    1936年に登場したミズノ トーナメントを、メーカーの年表に残る実物写真で振り返る。現代の大型チタンヘッドよりずっと前の木製ヘッドだ。写真のモデルの登場年と、いま読んでいる年を区別して眺めたい。

日本のゴルフ

選手権の結果に、倶楽部や競技団体の歩みを重ねて読む。

  1. 年間

    日本アマチュアは佐藤儀一

    廣野GCで佐藤儀一が日本アマチュアを制した。決勝の結果は4 and 3。直接対決を勝ち抜くマッチプレーの記録だ。プロの賞金王とは別に、日本のアマチュア競技の主役を記録する。

  2. 年間

    日本オープン、290打の優勝

    延徳春が合計290打で日本オープンを制した。アマチュアも参加できるオープン選手権で、日本プロや日本アマとは出場資格の枠組みが異なる。

  3. 年間

    日本プロ選手権は中止

    全国的な行事の開催が制限され、日本プロ選手権は中止された。日本オープンの優勝記録が残る年にも、別の大会には休止が生じている。

  4. 年間

    戦前最後の日本オープン

    程ヶ谷で延徳春が日本オープンを制した。公式旧表の優勝者表記は延原徳春で、JGA年史が同一人物であることを明記している。同年の日本プロ選手権は中止。すべての競技が同時に止まったわけではなかった。

この年を、もう少し深く

STORIES OF 1941

オーガスタでは、66打から始まる。

クレイグ・ウッドはマスターズの初日を66打で回り、5打のリードを得た。合計280打で、バイロン・ネルソンに3打差をつけて優勝。1935年にはサラゼンに延長戦で敗れた大会で、今度は勝者になった。

コロニアルでも、3打差。

フォートワースのコロニアルで行われた全米オープンも、ウッドが284打で制した。2位のデニー・シュートは287打。1933年の全英プレーオフでは敗れた相手を、この年の全米では上回った。

日本の選手権にも、戦争の影が差す。

日本では程ヶ谷で戦前最後の日本オープンが開催された。JGAは12月、翌年度の主催競技を当分見合わせると通知。米国でも全米オープンは翌1942年から1945年まで休止する。