ゴルフ史

1931年

カーヌスティ初開催。71打で追いついたアーマー。

ジーニー・ディーンズを時代のアイコンに、世界・日本の選手権、女性たちの競技まで振り返る。全英が初めてカーヌスティへ。難しい終盤で上位選手が打数を重ねるなか、トミー・アーマーは最終ラウンドを71打で回り、1打差で優勝した。

この時代のドライバー

ジーニー・ディーンズは、ボビー・ジョーンズの1930年のグランドスラムにつながるドライバーの名。写真はLouisville Golfの現代の復刻品で、ジョーンズが使った現物ではない。原型はジャック・ホワイトのクラブ。

ジーニー・ディーンズは、ボビー・ジョーンズの1930年のグランドスラムにつながるドライバーの名。写真はLouisville Golfの現代の復刻品で、ジョーンズが使った現物ではない。原型はジャック・ホワイトのクラブ。

この年の主役と、賞金の記録

SEASON LEADERS

米男子は記録がある1934年以降の年間賞金首位、それ以前は全米王者。女子と日本は当時の主要選手権を取り上げる。選手権の優勝を年間賞金王とは数えない。

  • 米男子 · 全国選手権

    1931年

    ビリー・バーク

    全米オープン優勝

    採用したPGA歴代年間賞金首位表は1934年から。この欄は賞金王を推測せず、この年の全米王者を掲載する。

  • 米女子 · アマチュア選手権

    1931年

    ヘレン・ヒックス

    全米女子アマチュア優勝

    LPGA創設は1950年。この年は女子の全国選手権優勝者を掲載し、プロの年間賞金女王とは扱わない。

  • 日本男子 · 全国選手権

    1931年

    浅見緑蔵

    日本オープン優勝

    日本の現行ツアー制は1973年開始。この欄は選手権の勝者で、年間賞金王ではない。

  • 日本女子 · 競技の背景

    1931年

    女子プロ賞金制度の成立前

    倶楽部から競技が育つ時代

    女子プロ部門の発足は1967年、歴代賞金女王表は1968年から。女性がプレーしていなかったという意味ではなく、後年の賞金ランキングをこの年へ遡らせない。

男子は後に四大メジャーとなる大会のうち、この年までに始まった大会だけを掲載。マスターズは1934年、全米プロは1916年からで、当時の全米プロはマッチプレー。女子は全米女子アマと、1930年以降の女子ウェスタン、1937年以降のタイトルホルダーズを並べる。全米女子アマはプロのメジャーに数えず、後のLPGA認定大会と区別する。

主要選手権の勝者を、一望する

MAJOR CHAMPIONS

1931年に起きたこと

WORLD & JAPAN

世界のゴルフ

全国選手権の勝者、女性たちの競技、道具と時代の変化。

  1. 年間

    全米オープンはビリー・バーク

    ビリー・バークが全米オープンを制した。72ホールの合計は292打。同スコアで並んだ後、プレーオフを勝ち切った。

  2. 年間

    全英オープンはトミー・アーマー

    トミー・アーマーが全英オープンを制した。72ホールの合計は296打。全国選手権の優勝と、シーズンを通した賞金成績は別の記録だ。

  3. 年間

    全米プロはトム・クリービー

    トム・クリービーが全米プロを制した。決勝の結果は2 and 1。当時は相手とのホールごとの勝敗を積み重ねるマッチプレーで、後年の72ホール合計打数による優勝とは記録の読み方が違う。

  4. 年間

    全米アマチュアにも、もう一人の王者

    フランシス・ウィメットが全米アマチュアを制した。オープンがプロとアマの双方へ門戸を開くのに対し、こちらはアマチュアの全国選手権。賞金を得るプロの大会だけでは、この時代の頂点を追いきれない。

  5. 年間

    全米女子アマはヘレン・ヒックス

    ヘレン・ヒックスが全米女子アマチュアを制した。LPGA創設前の女性たちの主要な競技舞台を示す結果で、後の女子プロメジャーや年間賞金女王とは区別して掲載する。

  6. 年間

    女子ウェスタン・オープンはジューン・ビービー

    ジューン・ビービーが女子ウェスタン・オープンを制した。優勝時点ではアマチュア。LPGA発足前に行われ、後にLPGAの歴代メジャー記録へ収められた大会。全米女子アマチュアと同じ大会ではない。

  7. 道具

    ジョーンズのドライバーには名前があった

    ジーニー・ディーンズという名前は、ボビー・ジョーンズが愛用ドライバーにつけたもの。ジャック・ホワイトの原型をもとにした現代の復刻品の写真で、その木製ヘッドとヒッコリーシャフトの姿を紹介する。原型の年代を示すもので、この年の新製品ではない。

日本のゴルフ

選手権の結果に、倶楽部や競技団体の歩みを重ねて読む。

  1. 年間

    日本アマチュアは新田恭一

    茨木CC東コースで新田恭一が日本アマチュアを制した。決勝の結果は6 and 5。直接対決を勝ち抜くマッチプレーの記録だ。プロの賞金王とは別に、日本のアマチュア競技の主役を記録する。

  2. 年間

    日本オープン、281打の優勝

    浅見緑蔵が合計281打で日本オープンを制した。アマチュアも参加できるオープン選手権で、日本プロや日本アマとは出場資格の枠組みが異なる。

  3. 年間

    日本プロは浅見緑蔵

    藤ヶ谷で浅見緑蔵が日本プロ選手権に優勝。この年からJGA主催となり、予選からマッチプレーで勝者を決めた。1926年に始まる大会史と、JGA主催としての初回を混同しない。

  4. 年間

    日本人プロ3人が米国西海岸へ

    11月、安田幸吉、浅見緑蔵、宮本留吉が米国のウィンターサーキットへ向けて出発した。日本の選手権を争うだけでなく、海外の連戦へ挑む機会が生まれる。所属倶楽部や競技団体も遠征を支援した。

この年を、もう少し深く

STORIES OF 1931

全英の舞台に、カーヌスティが加わる。

第66回全英は、カーヌスティで初めて開催された。約6,900ヤードの長いコースで、トミー・アーマーは73、75、77打。最後の18ホールを残し、首位を追う立場にいた。

最終ラウンドの71が、勝負を変える。

上位にいた選手たちが終盤にスコアを落とすなか、アーマーは当時のコース記録に並ぶ71打。16番を3、17番を4、18番を5で終え、合計296打を先に掲示した。

小川を越える、その一打。

アルゼンチンのホセ・フラードには逆転の機会が残っていた。しかし17番でバリー・バーンという小川につかまり6打。最後のパットも決まらず297打となり、アーマーが1打差で初優勝を手にした。